04.28.22:04
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09.29.12:17
Love Robs without Hesitation Ⅰ
それでも生きていられるのは、何処かが死んでいるからなのだ、と思う。
愛は惜しみなく奪う 1
妙に静かな日だった。
シロツメクサの冠は既に出来上がっていたし、クローバーは緑の絨毯のようだった。
野原の王は、黙って目を閉じたままでいた。時折、眩しさを感じる目の裏が穏やかになるのは、溢れる雲が影を落としているからだろう。
王は微笑んだ。
薄目を開けると、アティウス・ティラワの傾き具合を確かめる為、手庇の影から陽光の欠片を見る。楽しげな陽光は、未だ天頂から少し離れたくらいだった。
野原の王が、無防備にうとうとと惰眠を貪ることを許される、そこは平和な場所だった。
王は、そこ以外の世界のことは知らない。知らないどころか、むしろ気に掛けないようにしているのだった。例え、この地の外で狂気が火事のように人々の心から心へ伝染し、誰もが狂っていたとしても、破滅という巨大なお祭り騒ぎに熱狂し、血を流しながら狂っていたとしても、王には関係がなかった。野原を統べる王には、外の世界のことなど関係ないのであった。
野原のことだけを、考えていれば良いのだった。
鳶に似た鳥が、高く、空を滑る。
王は再び目を閉ざした。
空のように澄みきった心で、楽しく鳥の軌跡を追う。
風が吹いてクローバーが一斉に揺れた。その中の、葉の四枚付いている一つをポケットに移すと、王は口笛を吹き始めた。
風に乗って微かな口笛は、野原の向こうまで響いていく。
野原の外まで。
外。
外は、理性を取り戻した者から先に死んでいく世界だった。
いっそ、ただの戦争だった方がどれだけマシだろう、外にいる者は誰しもがそう思っていたが、決してそれを口には出さなかった。
「生きるのは好きか」
ふと、傍らの男に問われた。
咄嗟のことに、王が答えないでいると、男はふっと笑った。
「俺は好きだった」
男は過去形で全てを語っており、王はそれを少し寂しく思った。
「でも、それじゃ駄目なんだ。いつだって、少し多く愛した方の負けが込んでるんだ。愛し過ぎちゃいけない……苦しむ羽目になる」
望んで苦しむことはない、男は言い、王はそれを正しいと思った。男の様子が、本当に苦しそうだったからだ。
「いつだって、少し多く愛した方の負けなのさ」
ぜえ、と男は大儀そうに息をした。
「だから、俺は負けたんだ」
地に倒れ伏して男は笑った。笑うごとに男の下、草の上に、どす黒い水溜りが波紋と共に広がっていった。
惜しみなく愛は奪う、それは誰の言葉だったかな。
口笛を吹きながら、王は思い出そうとした。思い出そうとしたところで、彼らの間にあったのは、そんな優しい気持ちとは無縁のものであったのだが。
「それでも」
「それでも?」
王は訊いたが、男はそのまま小さく瞬きをしたきり、目を閉ざして答えなかった。
野原の王は花冠を取ると、白いその輪を男の上に放ってやった。蝶がやって来て、男の上でニ、三旋回して去って行った。
王は小さく口笛を吹き続けた。
■
絶望。一言で言い表すなら。
もっと大きな、空虚なほどの絶望を俺が知るのはもう少し先のことだ。だから、この場合のそれはただ、「絶望」で良いのだと思う。
旗は、砂塵と共に靡いていた。
人工太陽は見えず、赤と黒の空は、鈍い輝きをただ放つだけだった。
暗い淵を何処までも落ちていくような感じがした。淵は、絶望に果てがないように、欲望にも限りがないように、何処までも永遠に続いているかのように思われた。
「私は許さない」
ぽつりとカシュトカデシュが呟いた。
砂を含んだ風が、束ねられた金髪とマントを揺らす。大気の移動につれ、陽炎が揺らいだ。
「絶対に」
低いその声は、平坦な感情の表れではなく、内心の煮えくり返るような憎悪の裏返しなのだと、俺は知っていた。彼が怒るのは尤もだ。拡大な砂地と、その砂漠に住む民は全て彼のものだった。
不当に奪われて、黙っていられる訳がないだろうな、頭の後ろで手を組んだまま、俺は陽炎を背負った広い背中をただ眺めた。熱砂の向こうで、立ち上がる陽炎は領主の感情のようにゆらゆらと揺れる。
「ユヤ」
振り向かずカシュトカデシュが呼んだ。仕事かな、と他人事のように俺は思った。
「前金で千。成功報酬で二千」
簡単に報酬の計算をすると、俺は無感動に言う。周りが眉をひそめたが、気にせず俺は続けた。
「必要経費は別」
後ろの方で、親衛隊の誰かが砂地に唾を吐いた。禿鷹みてぇな奴だよ、罵倒する声が聞こえる。しかし俺は気にせずカシュトカデシュの背中を眺め続けた。背中は動かない。
「合わせて五千、それで良いか?」
問う。
黙ったまま、カシュトカデシュは瓦礫を眺めた。あまりにも一心に彼が一点を眺め続けるので、ひょっとしたら俺には見えない何かがそこにあるのかも知れない、そんな錯覚に誘われる。好奇心に駆られ、ひょいと肩越しに覗き込んだ。が、瓦礫はただの瓦礫だった。がっかりして俺は砂を蹴った。舞い散る埃を、人工太陽が灼く。
カシュトカデシュが振り向いた。
「倍額出そう」
前髪と、砂煙の隙間から俺は領主の顔を見上げる。嗅ぎ慣れた火薬の匂いに混じって、甘い血の匂いがした。
「それって」
「根絶やしにする」
短く、カシュトカデシュは答えた。
薄く、笑う。
互いに。
「誰が」
「場合によっては、私が」
自信ありげにカシュトカデシュは答えた。が、多分それは無理だろうな、と俺は思った。
「出せるのか?私兵なんて、たかが知れてるだろう」
言うと険しい顔をされた。恐らく図星を指したのだろう。
「死は」
カシュトカデシュは掌を翻すと、砂を零すような仕種をした。目に見えない砂は、風に乗って何処までも飛んでいく。砂を零しきると、掌は空を掴んだ。
「死は、死によって贖わせる。どんな手段でも良い」
俺は笑った。
どんな手段でも良い。
その言葉を言う時のカシュトカデシュが、俺は好きだった。妥協しない感じがして。
「どんな手段を使ってでも?」
カシュトカデシュは頷いた。
「殺せ」
俺も頷いた。
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