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  • 04/29/01:38

09.29.12:15

Lamento d’Mondo

サルベージさr
……アーシェ。




森 Lamento d’Mondo
20061101banana

 その日は珍しく自然に目が覚めた。あまりにしつこい私に彼が痺れを切らしたのだと思う。
 カーテンの隙間から差し込む光は随分と明るく、日が昇ってからかなりの時間が経っているのだということが知れた。勿論、兄達は既に出掛けた後だろう。階下から漂う甘い匂いに誘われるように、寝台から上体を起こすと裸足を床に滑らせた。
 案の定、居間では使用人がお茶の用意をしているところだった。降りてきた私に気付くと、人好きのする笑顔を浮かべ頭を下げた。私も短く挨拶をして、そのままソファに座りテーブルの上のブラウニーをおもむろに摘む。
「お早いですね」
 紅茶のポットを傾けながら彼は言った。
「私はどれくらい寝ていましたか?」
「十七時間程ですねー」
 確かに、いつもの私の平均睡眠時間を遥かに下回っている。それでも彼はそんな私の起床時間を正確に読取り、こうしてお茶の準備をしてくれている。しかも、ブラウニーまで焼いたらしい。口の中に残った胡桃の欠片を舌で転がしながら、使用人の横顔を眺める。
「夢見でも悪かったんですかね」
「そんなところです。ところで、シックザールとゼーレンは出掛けているんですか」
「レェン様は学校に行かれていますよ。シックザール様はお仕事で、また暫らくお留守になりそうです。アーシェ様にお土産を買ってくると仰っていました」
 この男の話が本当なら、今屋敷に居るのは私とこの使用人の二人だけということだ。
 正直、私はこの男が少し苦手だった。超古典語で破壊の神の名を冠した、不吉な名前を持つ生温いこの男――素性も、年齢も知れない。確かなのは父の古い知り合いであり、またゼーレンの本当の父親とも面識がある、その二点くらいのものだ。或いは、本当にこの顔が弛みっぱなしのこの男は、破壊を象徴する「何か」なのかも知れない。根拠はなかったが、漠然とそう思った。この男のことは苦手だったが嫌いではない。寧ろ二人で居るのは懐かしいくらいだ。
「レェン様、今日はシンハ君と一緒に勉強するとか言ってましたねー。だからお菓子を用意したんですけど、この分だとアーシェ様に全部食べられてしまいそうです。困ったなー」
 全然困ってるように聞こえない使用人のぼやきを横で聞きながら、もう一つ、とまたブラウニーに手を伸ばす。
「嘆くより先に新しくお菓子を用意する努力をすべきです」
「レェン様達が帰られてから用意します。今また作っても、アーシェ様全部食べちゃうでしょー」
 つまり、今ここにある分は完食しても問題はない、と許しが出たということになる。紅茶を口に含み口の中を漱ぎながら私はそう結論付けた。ブラウニーに手を伸ばす。
 物心ついた頃から、何かと眠るのが好きな子供だった。その眠りがやがて忌まわしいと形容されるようになっても、私は相変わらず夢を渡るのが好きだった。
 起きているのが嫌なわけではない。夢の中には父も母も兄達も居ない。だから目を覚ましてここでこうしてお茶を飲んだり、甘いものを食べたり、誰かと喋ったりするのも私にとってはとても大切なことだし、尊いことだった。けれどそんな私の意志とは裏腹に、気が付くと身体は隙を見つけては眠ろうとする。両親も当初はナルコレプシーを懸念していたが、これもどうやら違うらしい。それから暫らくして、私と同じような症状を引き起こす人々が世界の到るところ現われるようになったからだ。
 その頃には私はそれが何なのか、おぼろげながらに理解していた。同じ頃から各地で見られるようになった、荒廃した世界に不釣合いなほどに鮮やかな緑の群れ――それがその正体だ。緑の幻想に取り憑かれた人々は、私がそうであるようにふとしたきっかけで浅い眠りを繰り返す。そしてそのまま、ある日突然目を覚まさなくなる。それは症状が現われてから一ヶ月ほどで訪れる、緩慢な死だった。
「ただいまー」扉を開けて兄が部屋に入って来た。「あ、アーシェ起きてたの」
 そのまま自室へ向かうつもりなのか今には入らず問われた。兄の後ろでは彼の友人の頭が揺れている。
「お帰りなさい」
「お帰りなさーい、レェン様。シンハ君もいらっしゃーい。後でお部屋にお菓子持って来ますからね~」
 先に部屋に行っていて、と兄は友人を促す。それから私の方を見た。母譲りの青い双眸が向けられる。
「会えた?」
 あの冷たい視線は、こんな風に柔らかく細められたことはない。私はそんな眼差しを知らない。
「会えましたよ。元気でした」
「そう、良かったね」
 そう言って兄は自分の部屋へ向かって行った。何となく視線が外せずに、扉がゆっくりと閉まるのを眺めていた。
「帰ってきちゃいましたね」
 悪戯っぽく、男は言った。意図が読めず、私は彼の方へ視線を向けただけだった。
「二人っきりでないと出来ない内緒話とかありますよねー」
 だから、この男は苦手だった。
「私はないです」
「そうですね、そうでした」
 もし気付いているのだとしたら嫌だな、と思う。でもそんな焦燥も、一人では抱くことの出来ない感情だ。
 柔らかな午後の日差しの中で、私は深くソファに腰掛けて目を閉じる。すると閉ざされた視界に深く沈んだ緑の底が広がる。その光景をもうずっと知っていたが、死は私を拒むばかりで決して招きいれようとはしない。そうして、私は私を知る。
 あの寂しい場所は、今日も変らずそこに在る。私がこうして安らいでいる今も、あの場所は寂しいままだ。喧騒は成りを潜め、台所では使用人が小麦粉を振るう音を遮断すると、耳に残るのは静かな破滅の旋律だけだ。今もあの場所は静かに世界の終わりを奏でている。
 深い森の奥で、彼は今日も世界の終わりの歌を謳う。

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