04.29.00:25
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09.29.12:24
Love Robs without Hesitation Ⅲ
落ち行く人は幸せだ。
地面に着くまでは。
愛は惜しみなく奪う 3
快楽は過ぎると苦痛になると人は言うが、俺の場合は吐き気に繋がるらしかった。やり過ぎると、気持ち悪くなる。最中とかじゃなくて、後が特に酷い。胃が痙攣して、食ってもいないのに胃液が上がる。視界が揺れる。倦怠感に、馴れない。
いつもと同じだった。
頬の汗を拭う。ベッドカバーをガウン代わりに羽織ると俺は立ち上がり、バスルームへと向かった。火照った足に、ひんやりとしたタイルが心地良い。
冷たさはいつも、現実に立ち帰った感じをくれた。悪夢は熱と共にやってくるものだ。ここに居る、こっちが現実と、はめ殺しの窓に映る蒼い自分の顔に一瞥をくれてから、陶器の洗面台に水をあけた。タオルを絞って身体を拭く。冷たいタオルが、男の体温の名残を消していく。しつこくない奴で助かった。明日は砂漠に行かなくてはならない。ややこしい事態を避けるに越したことはない。
身体を全部拭き終わると、止水栓を抜き、ごぼごぼと音をたてて渦を作る水を見ながら、喉の奥に中指を突っ込んだ。鳥肌がたち、胃が引っ繰り返るような感覚に、思わず目を瞑る。
少し咽ながらも、何とか水っぽい中身を吐き出した。水に薄れて流れて行く胃液は、いつもと同じ色だった。もう少し、白いかも知れないと思っていたのだが。涙で滲んだ視界には、揺れる水面の白さしか見えない。
ごぽ、と小さく叫んで、水は流れきった。後には、ひんやりとしたやりきれなさだけが残る。一体、自分は何をやっているんだろうという後悔。身体と心のある場所の違う絶望。そんなやりきれなさだ。
水差しに残った水でうがいをする。もう一回吐けるかも、と病的に白い洗面所にもう一度顔を近付けてみた。
目を瞑る。
と、背中に暖かいものが触れた。
「おい」
驚いて振り向いた。背中を擦ろうとしているのだ、と気付くより先に振り向いてしまったので、男のすらりと長い手は、行き場をなくして下ろされる。後ろにある窓からの明かりで、男の顔は青く見えた。
「大丈夫か」
濡れて張り付く前髪の間から、居心地悪そうに男は訊いてきた。一瞬、言葉に詰まったが、いや収まった、もう良いと答えた。そうかと呟くと、男は部屋の方に向けて俺の背を押した。
俺は気配に気付けなかった自分に愕然としながら、されるがままに寝台へと促された。
「俺、タチってやったことないからさあ、勝手が分かんなくて」
別に良いからと言い張る俺を無理矢理ベッドに押し込むと、男は弁解しながら、新しい水で絞ったタオルを額に当ててくる。看病のつもりなのだろう。
「無理させたんなら、ごめんな」
笑いながら言う。淡い色の髪に縁取られたその輪郭が、何だかやけに虚ろで寂しくなった。
同性同士の間柄が当たり前の世界で過ごしてきた者というのは、特有の何か匂いみたいなものがある。同情のような、同苦のような。
馴れ合うのはまっぴらだったが、優しくされるのは嫌いではなかった。
「別に平気だって」
けれども、こんな風にされると困ってしまう。
「平気なわけないだろ。吐いてたのに」
吐くなんて、いつものことなのだ。気持ち良くても気持ち悪くても、どちらにせよ俺は吐くのだから。
枕元に腰掛けると、男はかき混ぜるように俺の髪を撫でた。その仕種は何処かの誰かを思い出させて、何だか俺はぞっとする。手を振り払うと顔を背けた。面白そうに、男は覗き込んで、ふと笑う。
「まさかな」
「何」
タオルをずらすと、目だけを動かして問う。悪戯っぽく、男は眉を動かした。まるで悪戯な子供のような仕種だ。
「初めてとか」
「……な!」
起き上がりかけて止め、な、わけあるか、と尻すぼみに呟く。別に自慢出来たことではないと気付いたからだ。しかし、な、だけの俺の言葉を、男は別の意味に捉えたらしい。
「見たところ十三、四くらいだもんなあ」
俺は返事をしなかった。サバを読む趣味などないが、ここで慌てて否定するのも馬鹿らしいし、どうせ本当の年齢を言ったところで信じてはもらえないだろうと知っている。……それにしても十三とは泣けてくる。
「一体、何でこんな世界に足突っ込んじまったんだ?」
質問も男の態度も不愉快だったが、とりあえず、さあね、とだけ答える。くしゃ、と顔を崩して男は笑った。お前面白いな、と陽気に言うが、面白がられてもこちらには何の益もない。迷惑なだけだ。
「……そこに俺の煙草ある?」
蒲団から手を伸ばすとぼそぼそと訊いた。しかし男はよしよしと、宥めるように肩の辺りを叩いてくる。子供にするかのように。
「今日はやめとけ。な?」
後で、具合が良くなってからにすれば良い。父親が言うような口調で言うと、立ち上がった。
「待てよ」
慌てて俺は呼び止めた。未だ肝心なことを聞き出せてない。
「何だ。傍に居て欲しいのか?」
嘲るように男は言った。取り合わず、話を続ける。
「次の連絡は」
「仕事を一つ終えるごとに、ここに来い。報酬はその時だ」
肩を竦めると男は歩き始めた。にっこり笑って面白い、などと軽口を叩いていた割に、俺が依頼主に近付けるような筋はきちんと潰している。思ったよりもガードが堅いな、と感じた。
この仕事は、少し難しいかも知れない。
そう思いながら、細身のシルエットが扉の向こうに消えていくのを、俺はぼんやりと眺めた。
■
どう思う、依頼を受けたアギが俺であるという一点以外の大体を話し終えると、意見を求めた。
うぅん、と半分枕に顔を埋めた格好でカシュトカデシュは唸った。寝言かこいつ、聞いてねェのかてめぇ。ごりごりと頭頂部を拳骨で押してやると、半寝の領主は煩わしそうに寝返りを打った。
「心当たりはある」
しかし、尻尾を掴むのは難しいだろう、こちらを向くとカシュトカデシュは枕に肘を付く。伏し目がちに見下ろしてくる領主に向け、口を尖らせて見せた。俺にもない心当たりを、この領主が持っているというのは不満だし、俄かには信じ難い。
「心当たりって?」
問うと、ふん、と馬鹿にしたようにカシュトカデシュは鼻を鳴らした。
「夢見たいな組織だ」
爆弾テロと夢、それに昨日の男は、俺の中で上手く一致しなかった。
「何だよ、それ」
「夢みたいなことを、しようとしている組織だよ」
それで合点がいった。
「ああ、あの恒常の平和が何とかとか言う」
「武器をなくしたところで、争いがなくなるわけじゃなし、この地底が豊かになるわけじゃなし。結局のところ、奴らのしてることは爆弾テロと何ら変わりはない」
領主は、偉そうに講釈ぶって話し、
「それを、平和、などと。虫唾が走る」
そう締め括った。
「お前のテロに対する個人的意見はどうでも良いけど、今トロメアの武器供給網が潰されると、こっちとしても困るな」
テロに対する領主の云々はどうでも良かったので無視し、俺は率直な感想を述べた。こっちだって困るさ、この大事なときに領内で爆弾テロなんて抱えてることが、あの気狂いの天使共にでも知れてみろ、それこそ困るどころの騒ぎじゃないぞ、言ってカシュトカデシュは眉を寄せた。最近のカシュトカデシュはいつ見てもこの表情なかりだ。跡が付くぞ、と笑うと、人差し指で眉間の皺を伸ばしてやった。カシュトカデシュは大人しく伸ばされていた。
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