04.29.03:52
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09.29.12:26
Love Robs without Hesitation Ⅳ
じ、と微かな音と共に炎は地を舐めながら、ゆっくりと這いずる。
多すぎる火薬をちらりと一瞥すると、上着の裾を翻して俺は駆け出した。爆風に巻き込まれぬよう、低い場所を選んで走る。
数秒の後、強い追い風が背を打った。
愛は惜しみなく奪う 4
石畳に足音が響き、荒い息遣いが通りを駆けて行く。そっと窓から覗き、走る男たちが警備兵の服を着ているのを確認すると、俺は溜息を吐く。まだ現われないのだろうか。このままでは、俺の方がやばいかも知れない。
今日この夜を、後ろを振り返り、降り、町の中央部へと追い詰められる役回りは、あの男のものの筈だった。
奴らが、金も持たず、ましてや計画もそのままにトロメアを後にするとは考え辛かった。奴らの城はこの向こうだ。何処に逃げるにしても、奴らは必ずここを通る筈だ。あれだけこつこつ溜め込んだ火薬をふいにしてしまっては意味がない。火には火を、というのが彼らの信条なのだから。
教会の尖塔から見下ろし、俺は目を細めた。
闇の世界の人間は、暗い色の服を好んで着る。それは夜を住処にする者たちの自衛の技だ。
夜目は利く方だったが、それでも彼が何処に居るのかは分からなかった。溶け込んだものを見分けるのは熟練の者でも困難なのだ。
町は黒い海のように、男の存在を飲み込んで吐き出さない。
騒ぎが収まるのを、何処かで息を潜めて待ってでもいるのだろうか。俺の突き止めきれなかった隠れ家が何処かにあって、そこに逃れ込んでしまったのだろうか。思う小さな可能性が捨てきれない。
カシュトカデシュの張り巡らせた糸は完璧な筈だった。トロメアは彼の巣で、彼は巣の主だった。彼はただ玉座で、張り巡らせた糸の端を持って待っているだけで良いのだ。奴らの狙いは彼のトロメア。黙っていても、獲物の方から彼の巣の中にやって来ることは分かりきっている。カシュトカデシュは、奴らが巣に掛かるのをただ待っていれば良いだけだった。待って、そして奴らが巣に掛かったところで、手元の糸を手繰り寄せればそれで終わる筈だった。奴らに逃げ道はない。
他の道は全て潰した。
だから、生き延びる為の道は、ここにしかない。
俺の探り当てた第二の本拠から、波状の掃討をカシュトカデシュは続けている。
正解はここだ。生き延びようと思うのなら、ここに辿り着かざるを得ないように、作ってある。
巣の主の視点からは見えないように、しかし獲物の視点からは解かり易く。
あの男が気付かない筈はない。
早く来い。
俺は念じた。
町は少しずつ狂騒に支配されていく。彼方此方で随分と慌しく電灯の明かりは揺れている。その様で、男がまだ捕らえられていないことだけ、辛うじて確認出来た。しかしそれだけだった。
男の位置が掴めないのは俺だけではないらしく、遠く見える電灯の、そこ彼処を照らす様子は、闇雲というのが近い気がした。
溜息を吐く。一体、今頃何処を逃げているのか。先日の、憐れに虚ろな男の輪郭をぼんやりと思い浮かべると、俺は座り込んで膝を抱えた。
暖かかったその掌の温度を思い、触れた陶器の冷たさを思った。与えられた快楽のことを思い、それから次の任務のことを考えた。
殺してでも、カシュトカデシュはそう言った。
俺は、あいつのそういうところが好きだった。
己の「国」を、愛して止まないところ。
国と民の為なら、どんな汚い手でも平気で使うところ。
そういったところが。
再び、押し殺した足音が石畳を駆けてくるのが聞こえた。
それは、ゲームスタートの合図だった。それから次の動きまでは恐らく、瞬く程の間だったろう。しかし闇の中だったからか、その間を俺は、何だか随分と長く感じた。
高揚感を伴う緊張に、肩が少し震えた。
窓から二本向こうの通りを見下ろすと、向かいの建物に向けて合図する。警備兵の格好をした奴らを、教会の正面に待機させる。所定の位置に彼らがついたところを見計らい、俺は屋根伝いに足音の方へと向かった。
闇夜が、黒マントを風景に溶け込ませてくれる。難なく俺は目的の屋根まで辿り着いた。屋根にへばりつくと、雨樋を掴み、眼下の罠を見遣った。と、息を切らせて罠に飛び込む男の背が見えた。それが一瞬にして、警備兵の格好をした奴らに囲まれたのを確認すると、俺は建物の二階のバルコニーに下り立ち、あらかじめ開けておいた窓から部屋の中へと滑り込んだ。
「な……待ち伏せか!」
部屋を抜けると、男の右顔が見える側の窓を細く開ける。と、隙間からは遠い舌打ちの音が聞こえた。続いて、俺の雇った奴らが剣を抜いた音。次いで、剣と剣が打ち合わさる金属音。始まったな。笑うと俺は唇を湿らせた。
「多勢に無勢かよ!汚ねぇぞ、てめぇら!」
剣戟に混じって無茶苦茶な台詞が聞こえ、思わず苦笑する。一対一で犯罪者に臨むような親切な人間など居るものか。
そっと、しかし音をたてながら窓を開けると、俺はバルコニーに立った。四対一でも男は善戦しており、最初、俺が雇った奴らは圧され気味だった。が、そこはそれ、先ほど男がクレームをつけた通りに多勢に無勢だ。どんどん男は行き止まりへと追い詰められて行く。そろそろ危険、と判断し、しかし男に声を掛けようとして困る。
「えーと……」
そういや、名前を訊いてなかったな、と頭を掻く。
仕方ないので、とりあえず呼び掛けだけでも、と声を張り上げた。
「おい!お前!」
ハッ、と男と警備兵らは顔を上げる。バルコニーから乗り出すと、男に向け俺は手を振った。
「助太刀するか?」
笑う。剣の動きは止めぬまま、問われた男もニヤリと笑った。
「頼む」
そう来ると知っていた。男の言葉と同時に、俺は宙に跳び出した。頬できる風が生温い。
着地と同時にマントを脱ぎ捨て、短剣を抜いた。駆け寄る間に、男は俺の雇った偽の警備兵を一人屠る。悲鳴一つ上げずに、騒がしい鎧の音をさせながら警備兵は倒れた。石畳に、どす黒い水溜りが広がる。
真新しい血の匂いは、俺をわくわくさせた。
あの感じだ。
怒りとも、欲情ともつかないような。
あの感じがした。
掛け声と共に斬り込むと、ざわりと空気が変わり、風のように風景が回った。馴れ合いの笑みを浮かべ、勢いを殺して剣を振るう警備兵に俺も笑い返す。数度打ち合ってから、手指に斬りつけ、獲物を叩き落してやった。
血の滴り落ちる手指を呆然と見下ろす警備兵に向けて、俺は小さく「逃げろ」と囁いた。
彼は頷いて走り出す。安心しきっているその背中に、俺は剣を突き立てた。変に息が漏れる音がして、警備兵の身体は地に倒れ伏す。
ゆっくりと死んでいく男から、血まみれの剣を引き抜きがてら、自分の腕を斬り付ける。
刃を当てた箇所に、一瞬熱さが走る。次いで濡れた感じ。
しっかりと自分の腕が傷付いたのを確認してから、最後の警備兵を屠る為に俺は振り返った。
楽しかった。
俺は楽しんでいた。
誰かを騙すことを、裏をかくことを、危険を渡り歩くことを、楽しんでいた。
真剣な人々を陥れる、必要とあらば仲間も裏切る、そんな自分を忌み嫌いながら、それでも駆け引きは快感なのだった。
■
「助かった」
男は笑うと、脱ぎ捨ててあった俺のマントを拾い、そのまま差し出した。
「礼なんかいいさ」
マントを受け取ると、俺も微笑む。お人好しの顔で。
「あ、お前…・・手」
「ああ、大したことない」
口ではそう言いながら、派手に血糊の付いている右腕を、誇示するように上げて見せた。
「大したことないわけあるかよ」
強い力で俺の肩を掴むと、男は暫し逡巡した。
言え。しおらしい顔をして見せながら、それでも俺は心で念ずる。
言え。言え、と。
そして、暫らくの後。思いが通じたのか、男は顔を上げた。
「……来い。とりあえずの、応急手当しか出来んだろうが」
「すまない」
信頼されている自信ならあった。信頼、或いは友情を。或いは、愛情を。
焦らして、焦らす。そうしておいて、最後に許す。許すのを、最後にする。それだけで良い。それだけで良い。後は、向こうが勝手に勘違いするのを待つだけだ。
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