04.28.22:15
[PR]
09.29.12:40
red
いつの時代も世界を救うのは所詮アイ。 red
20061226banana
ケーキを焼いた。
特に本など読みはせず、ケーキの材料をデタラメに混ぜたものを焼いただけなので、良い匂いを漂わせるこの狐色の甘い物体を「ケーキ」と形容することは間違っているのかも知れない。
「それ」は重曹を入れなかった所為か、もともと厚みを期待せず作ったせいか(薄く焼けば少しクッキーっぽくもなるかも知れないと思ったからだ)、形だけ見ると成り損ないのパンケーキのような外見をしていた。それでも匂いだけは一人前で、待ちきれない子供たちに急かされナイフを入れる―……が、剥がれない。生地を流し込む時にバターは塗った筈だがどうしたものかな、と思いながら結局子供他ちとナイフで汚く剥がしながら手で食べた。
相変わらず口に入るものは砂のような感触しかしなかったが、子供たちが美味しいと言っていたのでまた作ろうと思った。
ケーキを焼いた。
別に何かのお祝いというわけでなく、子供たちが喜ぶので作った。生地を混ぜ合わせていると末娘は兄さんは胡桃が好きなんですよ、と耳打ちした。彼女には兄が二人居て、さてどちらのことを言っているのだろう、と俺は思ったが、どうせまた皆で食べることになるのだろうし胡桃嫌いの申告を受けたことはなかったので取り敢えず彼女の言葉に従った。
焼き上がって、「ケーキっぽい」が良い匂いを漂わせても入れたのはナイフだけで、今度は少し冷めるのを待った。前よりはマシだったが矢張り崩れた。結局また鉄板から手掴みに子供たちと食べた「ケーキっぽい」は、胡桃の歯応えが加わった分少し面白かった。
ケーキを焼いた。
この頃毎日焼いている。胡桃は概ね好評で、今回もまた入れることにした。二番目の子供は特に何の感想も言わなかったが完食していたので問題はないだろう。
生地を混ぜ合わせ熱したマーガリンを注ぐ。こうして生地の粉っぽい味を飛ばす。前回まではバターでやっていたのだが、子供たちの健康面を考えるとマーガリンの方が良いと思ったからだ(たまにならバターでも全く問題はないのだが、こう毎日だと心配になってきた)。生地が混ぜあがっていくのを頬杖をつきながら一番上の子が見ている。バナナを入れたら美味しいんじゃないか、そんな風に口を挟んできた。確かデザート用に買い置きしておいたものがあった筈だ。様子見として二本、潰しながら生地に練り込んでみた。
今度鉄板に塗ったのはオイルで、三度目にしてようやく綺麗に剥がすことが出来たが、手で摘んで食べることがすっかり習慣になってしまい結局皿とフォークの出番はなかった。洗い物が増えないのは助かるが、このような不作法は他の食事の時はないようにしなくてはならない、と思った。
ケーキを焼いた。
卵を割って、小麦粉を入れて混ぜる。その後は相変わらずマーガリン(幸い子供たちには気付かれなかった)、もう一度よく混ぜ合わせて、バナナと胡桃を入れる。バナナは特に末の子供に好評で後片付けをしていた俺の服の裾を引っ張りながら、また作って下さいね、と念を押された。
ヘラでバナナを更に潰すように生地を混ぜていると、二番目の子供が本を片手に通り掛かる。何かリクエストがあるのか、と俺は手を止めずに訊いた。二番目の子供は生地の入ったボールを覗き込んで息を吐き出すようにただ微笑んだ。それから俺を見上げて、あいつはレーズンが好きなんですよ、と言って去って行った。二番目の子供が言う「あいつ」が誰かは判らなかったが、幸いレーズン嫌いも居ないので入れておくことにした。流し込んでからでは焦げるので、こちらもしっかり生地に混ぜ込んだ。
その日の「ケーキっぽい」は三人共に好評だった。美味しそうに三人が食べているその様子がただ嬉しかった。
その日はケーキが焼けなかった。
貯蔵庫の蓄えが少なくなっていたので買出しに行こうと思っていたのが生憎の雨だったからだ。天候を操るくらい大した苦ではなかったが、こうしたことにはなるべく干渉したくなかったので今も雨は降り続いている。ないのは「ケーキっぽい」の材料だけなので別に雨の中を無理に買出しに行く必要もない。それでも毎日あの不恰好な「ケーキっぽい」を楽しみにしている子供たちを気にして俺は代わりのものを作ろうと思った。
「胡桃、バナナ、レーズン――次は何?」
取り敢えず一番近くに居た二番目の子供に訊ねるとそんな答えが返された。何でも、と俺は答えた。
「それは不正解。二人にも訊いてみれば?」
彼は穏やかな笑顔で意地の悪いことを言うと、自分の役目は終わったのだと言うように読みかけの本に視線を戻してしまった。
そうしてワインを飲んだ。
言われた通りに一番上の子供と末娘に訊いても返された答えは二番目の子供と似たようなもので、結局いつもなら「ケーキっぽい」を焼くその時間に俺はワインを一本空けた。
口内に広がり食道へ流れていくフルボディの赤は少しだけ忘れていた味覚を刺激する。まるで業の深い女のような味だ、と思った。
- トラックバックURLはこちら