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04.29.01:12

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  • 04/29/01:12

09.29.12:37

old tale

えのひもっぺーさるべー(謎)。




 ずっと、こんな日が続けばいい。

やさしい日々

 帝都にしては珍しい、穏やかな午後のことだった。冬だったからだろうか、山の向こうでは、まだ雪が降っていたように記憶している。
 その日、朝から連続して処理していた面倒な仕事を一段落つかせ、俺たちは他愛もない雑談に興じていた。何がそんなにおかしかったのかは忘れたが、どちらかの冗談か何かが二人の笑いの急所に入ってしまって、腹が痛くなるほど笑い転げた後だったのは覚えている。

「知ってますよ。細かな氷のようなものでしたよね?そりゃ、見たことはないですけど」
 咳払いをすると、無闇に大きい、塔から持って来たものだという金張り革表紙の百科事典を開き、狗尾柳はその一ページを指した。
 差し出された古いページから、ふわふわと舞う塵を透かして俺はそれを見る。
「そうそう、それ」
 うんうんと、ソファに座ったまま頷いた。知っているなら話は早い。

「そんな感じの、透き通った細工なんだと思う。多分、硝子か水晶の」
「聞いたこともないですけど」
 六角形に角の生えたような形の絵を眺めながら、彼は首を捻った。
「やぁっぱ、千年以上前と今とじゃ、伝承にも差があるのかなぁ」
 「そうですね。気候も、雰囲気も全然違うんでしょうし」のんびりと猫柳も言った。無闇に大きな百科事典を仕舞うと、首を傾げる。
「でも、何でまた急に雪の話なんか」

「それを手に入れると、しあわせになれるといわれている、『こおりのしあわせ』があります。本当に、心から幸せを願う相手にプレゼントすると、そのこおりは溶けて、相手をしあわせにします。これは、そんなしあわせのおはなしです」

 淀みなく俺は答えた。その本なら、何度も何度も読み聞かされ、また朗読させられたせいで、最初から最後まで余すところなく暗記しているのだ。
 「こおりのしあわせ」――病気の父親のために、少年と少女が冬を乗り越え、幸せの一片を探して旅をする話だ。
 様々な困難にも負けず、二人は常冬の宮から氷漬けのしあわせを手に入れるが、帰り道で待ち伏せをしていた悪い魔法使いの罠により、しあわせは奪われてしまう。しかし、悪い魔法使いはこの世にひとりきりで身よりもなく、幸せを願う人も願われる人もいなかったので、何をどうしても氷を溶かせなかった。そこで結局しあわせは二人のもとに戻ってくるのだ。
 二人は父親の病気を治し、三人はその後ずっと幸せに暮らすのだった。

 いいね、このおはなし。好きだなぁ。
 読み終わるたび、ありふれた言葉で彼は言った。下手に飾らないだけに、その言葉は真実であるかのように感じられた。彼と共にいることは、世界のすべてが素朴で美しいものであるように感じさせた。

「何ですか、それ」
 過去に陥りそうな意識を、無愛想な狗尾柳の声が引き戻す。
「こおりのしあわせ。冒頭。幸せのひとひら、とも言う」
 「結構メジャーな話なんだけどねぇ」ぼやく。いや、これはあの狂気のような時代から今にまで奇跡的に残っている、数少ない有名なおとぎ話の筈だ。きっと、単にこのお子様が絵本になど興味がないだけだろう。

「じゃ、聞かせて下さい」
 ――全く無関心でもないらしい。おかしく思いながらも、俺は粗筋を説明してやった。
 偵察状況の打ち合わせをしてでもいるような顔で、狗尾柳はおとぎ話に耳を傾ける。


「と、言うわけでぇ、二人のところに、こおりのしあわせは戻って来ました~。めでたしめでたし!」
 おしまい、と俺が言うと、狗尾柳は眉をひそめた。
「なーんか……なー……」
 意外に思って、けれど面白半分に俺は反論する。
「何で?良いお話じゃぁないですか!」

「その終わり方だと、魔法使いがなー……気の毒と言うか、哀れと言うか……」
 その言い様に、ふと既視感を覚える。甦るのは、遠過ぎる記憶だ。

『だって、このまんまじゃ魔法使いがかわいそう』

 本気で言う彼。ああもう、こんないい話なのに、何で魔法使いがかわいそうなままなの。本に向かって怒る彼。優しい記憶に、思わず笑みが浮かぶ。

「魔法使いにも一つあげた、って騒いでた奴が居たねぇ……そう言えば」
「じゃ、その人は良い人ですね」
 一人何か得心がいった、とでも言うように狗尾柳はうんうんと頷く。たかがおとぎ話にやたら感情移入しているその様がおかしくて、それにさっきの馬鹿笑いの余韻もまだあって、俺はもう一度吹き出した。狗尾柳も笑い出す。
 ひとしきり笑った後で、改めて、という風に狗尾柳は話題を仕切りなおした。
「で、何でまた急に、そんな話を?」
「んんー……探してみようかなぁ、と思って」
 軽く言うと、何だか嫌な顔をされた。
「まぁた盗掘紛いの趣味を……」
 どうやら、この子供に俺という男は、そうとう誤解されているらしい。
「……ま、そんなとこ」
 まぁ、別に誤解されたままでも結構――寧ろ大いに有り難いか、と思い直す。墓荒らしも、不法侵入も趣味ではないと言ったところで、そう簡単に信じてはもらえないのが関の山だろう。
「その内連れてってあげよう」
 「その内、厄介ごと全部片しちゃったらね」俺は続けた。
「いつの話ですか」
 狗尾柳は鼻で笑う。
「その内その内~」
 全てが片付いた、平和な世界。それは遠い先のことではあったけれども、実現しない未来ではないと俺は信じていた――その時、そこに俺が居るか居ないかは別の話だが(そういう意味では、限りなく叶えられる可能性の低い口約束だ)。
「その内、ですか」
 「ああ、その内その内」肩を竦めると、俺はテーブルの上のカップに手を伸ばそうとした。しかし、途中で阻まれる。
 顔を上げた。
「んんー?何かな、わんこ」
 酷く真剣な顔が、そこにはあった。

「何か、隠してますね」

 手を握ったまま、低く狗尾柳は言った。鋭く見つめられ、久しく忘れていた焦燥に、一瞬、心臓が跳ねる。動揺は、表には出なかったように思う。やんわりと、骨張った子供の手を退ける。

「なぁんにも、隠してませんよ。でも、ちょっと雪が降ってたじゃん?だから思い出しただけ」

 平静な口調のままで言う。曖昧にはせず、否定の言葉も混ぜた。しかし狗尾柳は押し遣られた手を胸の前で組むと、毅然と言った。

「どうでしょう」

 ――変なところで勘が良い。目を逸らして宙を見るふりをするが、腕組みをした狗尾柳に、きつい目で促される。
 何の権利がお前にあって、思うが、それこそ昔も昔、有史以前の出来事だと開き直る。
 大仰な所作を付けて、渋々白状するフリをする。言えることだけ。

「欲しがってた奴が居たんだよ。そんだけです」
 腕組を解くと、してやったり、の表情で実に嬉しそうに狗尾柳は笑う。俺も何でもないことのように浅く笑みを返すと、背凭れに身体を投げた。可愛くない子供だ、という単語がすらりと浮かぶ。
 ポケットに手を突っ込むとキャンディーの缶を取り出し、一つ口に放り込んでから狗尾柳にも勧めるが断られた。まぁ、そうだよな、と思いながら再度ポケットへ戻す。

「恋人ですか」
 口の中で、飴玉を転がす。
「んんー……かぁもねー」
 ソファの背凭れに首を預けると、ぶっきらぼうに俺は言った。へぇ、貴方に恋人ですか、生意気にもからかうような口調で狗尾柳が言う。恋人。訂正するのも馬鹿馬鹿しくて放っておく。
「過去形で話すと言うことは」

「あ~……そっから先は言わないのが優しさでしょう」

 聞きたくない、という意思表示として耳を塞ぐ素振りをする。しかし、そんな俺の意思表示をさらりと無視して、狗尾柳は無遠慮に傷を抉ってきた。

「振られたんですね」

「……うっせーでーす」
 「魔王」の過去話に出てくる「恋人」が故人であるという可能性を棚上げにして、子供は言う。
 けれどそれは、冗談にできる、すれすれのラインだった。珍しく、本当に珍しく、半分本気で俺は言う。

「話したくない」
「話さないで良いです」

 ふっと狗尾柳は息を吐いた。

「女性に興味はないですから」

 俺は、ちょっと考えた。

「…………貴方の昔の女性に、興味はないです」
 自分の言葉のもう一つの意味に気付いたらしく、「女性に」ということろを強く、狗尾柳は言いなおした。別に、誰も何も言ってないというのに。少し眉をひそめると、狗尾柳は掠めるように俺の表情を盗み見た後、ふいと視線をそらした。

 暫らく黙る。高い窓に映る青い空を、黒い鳥の影が一瞬よぎった。

「……それにしても、面倒臭い宝ですね」
 こほん、咳払いをすると狗尾柳は続けた。話題がそれたのは正直言って有り難く、胸中で息を吐きながら、どうしてと俺は問うた。

「見つけた者が幸せになれる、なら分かりますけど。貴方の話だと、その宝っていうのは、それを誰かからプレゼントしてもらわないと意味がないじゃないですか」
「うん。だねぇ」
 俺は頷く。悪い魔法使いが幸せになれなかったのは、彼が一人であったからだ。

「それを欲しい、と。その彼女は」

 どうしても女(ではないけれど)の話題に戻りたいらしい。話題のことには諦念して、しかし自分の中には一歩も踏み込ませない心積もりは強固にしつつ、俺は答えた。

「まぁ、そうなるんだろうなー」
「強欲で自信過剰……」

 確かに、そんな宝を欲しがるというと、まるで幸せを願われている自覚があったかのように聞こえるかも知れない。

「――いや……優しい、人だよ」
 俺は穏やかに否定した。過去形は使えなかった。使わなかった。

「愛してくれた」

 俺の、嘘ばかりの人生の中で、それだけは本当だった。

 すべてなくしても、それだけは本当だった。

 再び、沈黙が部屋を支配した。

 狗尾柳は何も言わず、テーブルの上の茶菓子に手を伸ばした。昼の陽射しは短いが明るく、窓辺へと向かう狗尾柳の手も爪も、何だか仄白く光って見えた。
 言葉はなく、ただ薄い沈黙だけが、微かに部屋に漂っていた。変な沈黙を作ったものだな、と俺は立ち上がり、先ほどの辞書をそっと荷物の中から取り出した。埃を払って、開く。

 ゆき、と題された小さな結晶の絵を見た。天然の細工は、価値はないにしても、人工のそれを下回ることなく美しかった。


 ふと、思い出す。

 だって、過去なんてなくたって、幸せにはなれるだろう?彼はそう言った。幸せになれると。


 誰だって、いつかは幸せになれると、言っていた。
 窓から差し込む陽射しを見遣る。暖かな、柔らかい陽光だ。根雪を、溶かすように暖める優しいひかりだ。照らされる狗尾柳の頭には、天使の輪が出来ていた。王冠みたいだな、思って俺は微笑んだ。俺の視線に気付き、何ですかと狗尾柳は問う。何でも、俺は首を振った。

 多分、彼の望んだ幸福は、こんな穏やかなものだったのだろう。
 たとえ、与えることが叶わなくても、奪った分だけでも返すことが出来たなら良かったのに。罪悪感と幸福感の綯い交ぜの気持ちでふと思う。

 思う。

 奪われたしあわせ。ひとりでは溶かせないしあわせ。

 持っていても、意味のないしあわせ。

 願われない、しあわせ。


「……幸せじゃ、なかったのかなぁ、と思って」

 呟いた。

 何事か、驚いたように猫柳が顔を上げる。変な顔だった。
 驚いたような、憤慨したような、妙な表情をしていた。

「どうして」

 口元に手を当てて、考えながら訊いてくる。
 笑うと、俺は答えた。

「しあわせになりたい、ってことだったのかな、と思って。あれは」

 青い窓の外を、静かに滑空する鳥の影が過ぎた。一羽、そしてもう一羽。影と共に、強く羽ばたく二つの音は徐々に遠ざかる。――遠ざかり、そして消え、外を行く人の石畳を踏み締める音すら聞こえそうなほど、部屋の中は静かになった。

 狗尾柳は、じっとこちらを見つめていた。

 そんなどうしようもないことを、こんな幼い子供に話してどうするのだと、俺は、話を冗談に掏り替えようとした。

「そういえば……」
「違う」

 俺の言葉の途中で、強く狗尾柳は否定した。驚いて、俺は押し黙った。

「違います」

 彼は何も知らなかった。俺の隠す狂気、醜いもの、まだ何も知らない筈だった。その存在の意味するところすら知らなかった。
 なのに、馬鹿みたいに人を信じきった調子で、彼は断言した。

 首を振り、違わないよ、とそう自分の信じるままを俺は口にした。
 彼は俺を幸福にしたが、俺は彼を幸福に出来なかった。そう俺は信じていた。

「……」

 仕方がないとでもいう風に、諦めるように微笑むと、狗尾柳は黙り込んだ俺の手に、自身の手を重ねた。重ねて、そうして暫らく考える。窓の外を見て言葉を探す。

「そうじゃなくて」

 目は背むけたまま、重ねた手の力も変えないまま、彼は言葉を探す。

 触れられた手の甲から、何か透明で暖かなものが流れ込んでくるのを感じて、俺は顔を上げた。

 それが何だったのか、俺は今でも説明することは出来ないが、確かにあの時、俺たちの間には何かが存在した。
 共感のような、何か透明で暖かな、涙のようなそれが、身体の何処かを満たすのを確かに感じた。

 微笑むと手を放し、狗尾柳は窓辺に寄った。
 逆光に、その輪郭が滲んだ。

「つまり、それはつまりその……貴方に、あげたかったんでしょう?だから、それを」

 それは、馬鹿みたいな過去の感傷かも知れない。
 だから、泣きたくなるのかも知れない。

「そんな風に」

 許されるみたいに、


「考えたことは、なかったな」

 そんな風に、考えたことはなかった。

 そんな風に、言われたこともなかった。


 自分でも信じられないことだったが、泣きそうになった。辞書を見るふりをして堪え、波が去った頃に振り向いた。
 彼は窓に凭れながら、けれども窓の外を見ることはせずこちらを見つめていたので、俺たちは顔を見合わせた。
 冬の陽射しは柔らかかった。狗尾柳は微笑んでいた。
 

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