04.29.01:18
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09.29.12:27
Love Robs without Hesitation Ⅴ
いつだって、人間は好意を欲しがっている。
それが愛されなかった人間なら尚更だ。何でも同じ。
誰か、怯えている人間の信頼を勝ち得る術というのは、飢えた獣の眼前に、肉塊をちらつかせるのと似ていた。
暗殺者が振るうのは武器だけとは限らない。
愛は惜しみなく奪う 5
「捕まえられたろう?」
風のない夕刻、薄暗い室内に向かって俺は笑いかけた。血よりも赤い夕日の中で、蝋燭の火はあまり役にたっていないように思える。何かの書類から顔を上げると、カシュトカデシュは酷く荒んだような瞳でこちらを見遣り、両手で顔を覆った。
「何、疲れてんの」
毛足の長い絨毯の上の影を踏み、部屋の中に入ると俺は窓に凭れた。カシュトカデシュは、指の間から俺を睨む。
「あれだけの組織力を持って抵抗してした奴らの総力が、たったあれだけとは到底思えん」
暗い口調。気付いていたか、と俺は心の中で舌を出す。ちゃちなカラクリだったが、見破られて、それでも嬉しかった。あの程度、看破出来なければ駄目だと俺は思っている。そしてカシュトカデシュは見事その期待に応えおおせた。それでこそ。そうでなくては張り合いがない。
俺は睨みつけるカシュトカデシュから目を逸らした。生温い風が部屋を通り過ぎ、机の上の書類がかさかさと鳴った。さり気なく領主の袖に隠されてはいるが、それが天上の新兵器の詳細だと、知らぬ俺ではない。蝙蝠はお互い様というわけだ。
今更、そんなことに傷付きはしない。
「報告と、新しい情報……欲しいか?」
胸ポケットから一片の紙を取り出すと、ひらひらと頭上で翳して見せた。欲しくないわけがないだろう、と挑発してみる。
「ああ、後で……ベッドで聴く」
カシュトカデシュは答えた。ベッドでね、俺は苦笑した。
■
「そんな深くはないな」
傷の様子を見ながら男は呟いた。そう、と上の空に呟きながら、落ち着かなく俺は周囲を眺める。
広い館だった。その外観から、ある程度の豪奢さを予測はしていたが、正直これほどまでとは思わなかった。あの領主の城よりも凄いのではないだろうか、と調度品の数々を見ながらその質素さに驚く。俺の今座らされている椅子も、中綿の緩くなっている年代モノだ。家主は余程の倹約家らしい。
「なあ、ここって……」
問うと、男は肩を竦めた。その背後に見える橙灯は、磨かれてはいるが、二世代以上も前の流行の意匠だった。火力が弱いのだろう、少し薄暗い。
「まあ、良いだろ、仕方ない」
言って男は俺の腕を包帯の上からぽんぽんと叩いた。俺は、その乱暴な仕種にちょっと顔を顰める。別に男の馴れ馴れしさが気に食わないのではなく、単に痛いのだ。
「そんな顔すんなって」
「痛いんだよ」
腕を庇うと、俺は身を捩った。面白そうに男はニヤリと笑うと、顔を近付けてくる。
「この前と、どっちが痛かった」
「この前って……おい」
止せ、と男の顔を向こうに押し遣る。そうそう何回もいいなりになってやれるほどの暇は今回はないのだった。この後、カシュトカデシュにも会わなくてはならない。
「止せって。そんなことより、良いのかよ、お前」
たった一回窮地を救われただけで、あの組織の人間が、こんなに容易く他人を信用するものなのだろうか。俺には今一つ自信がなかった。
「良いって。どうせ、先刻のアレで大方は捕まっちまったんだ。人手不足さ。協力者は諸手を挙げて歓迎だ」
「分かんないぞ?協力するかどうかなんて」
俺は、ローティーンよろしく、口を尖らせて見せた。もういい加減、幼く見られるのを利用することも覚えたのだ。
ふ、と男は笑って、俺の頭をかき混ぜる。
「何言ってんだよ。わざわざ助けに来たクセに」
「たまたま通り掛っただけだ」
そう、そういう予定だった。今回のこれは、単に恩を売っておく第一段階としてのつもりだったのだ。
これから、この男の懐に入り込む為の第二、第三の作戦が展開される予定であって――つまり、こんな早い段階で、本拠に上げて貰えるとは思ってもいなかったのだ。故に、乗り込んだ時点からのことはあまり考えてはいない。現段階で、無策というわけだ。考えて、内心で俺は戦慄した。
無策、丸腰で乗り込んだというだけならまだしも、もしこれが罠を見抜かれてのことだったなら。
単に、これから泳がされるためだけに生かされたのだとしたら。
どうする、と俺は自身に問うた。
マルクータが、トロメア領主と通じているというのは、側近やら大臣やら、関係者には結構知られている事実だ。しかし、「アギ」が、反天上組織の「ユヤ」と同一人物であると知っている人間は少ない。知っているのは、このトロメアでも限られた人間、それも口の堅い連中ばかりだ。
どうする、と俺はもう一度自分に問うた。問うて、そしてこういう場合の常套手段を使用することに決めた。
「大体、何でお前追われてたんだ?」
しらばっくれて、俺は訊く。
「手入れだ」
男は、途端に真面目な顔になって答えた。
「どうやら、組織の中に蝙蝠が居たらしい」
どくん、と俺の鼓動は一瞬跳ねた。しかしすぐに平静を取り戻す。じ、と橙灯の火心が音をたてた。
「蝙蝠?」
鸚鵡返しに俺は問う。ああ、と男は頷く。
「裏切り者のことだ」
何も言わず、俺は男の次の言葉を待った。待ってそして、こういった台詞の後に続く、お前のことだよ、ユヤ、というお決まりの文句を想像した。その台詞を実際に聞いたことがあるのは、随分昔に、たった一度だけだったが。
息を潜めて次の言葉を待つ俺に向け、ふ、と男は表情を緩めた。
「それは一体誰なんだ、とか、訊かねェのか?」
「別に。興味ないし……訊いて欲しいなら訊くけど」
肩を竦める。無駄口を叩いて、誘導尋問に引っ掛かりでもしたら大事だった。沈黙は金なり、心に言い聞かせて俺は男の次の言葉を待つ。
「や、俺にも分かんねェから、訊かれても困るんだが」
本当に困った、とでもいう風に眉間を寄せると、がしがしと男は頭を掻いた。その様子は、何だか大きな子供のようで。
近所のガキ大将のようで。
「く、ふ……くく」
「何だよ、笑うなよ。面白いこと言った覚えはないぜ?」
男の言葉に、分かった分かったと頷くけれども、おかしくてそれは言葉にならない。「恒常の平和」じゃ、こんな馬鹿が幹部を張れるのかよ、と、心の中で突っ込みながら、俺は笑う。
笑う。
俺は馬鹿は嫌いだった。笑えてしまうから。
馬鹿は、利用されるだけだから。
俺は、そこに付け込むから。
俺は笑う。
「面白い、ことって、は、腹痛ぇ、くく」
「おい、笑い過ぎだぜ?……感じ悪ぃの」
その拗ねた言い回しがまたおかしくて、俺は暫らく笑い続けた。
笑い過ぎると涙が出た。涙は、橙灯の明かりを滲ませた。
■
与えられる律動と快楽に胸を喘がせながら、俺は瞳の伏せられているカシュトカデシュの顔を盗み見る。
白い頬に落ちかかる金の髪が、頭を垂れた麦の穂のようだった。薄明かりに照らされるそれを、綺麗だ、と俺は思う。光を反射すると、彼の金髪はいつも発光するように輝くのだった。天然の王冠みたいだ、といつか言ったことがある。本当、お前って、そのまんまで王様なんだな、と。軽口だけれども。
ふ、と俺は口許を歪めた。と、カシュトカデシュが雰囲気を察知したのか、動くのを止めて目を開く。澄んだ青が、俺を見下ろす。
「ユヤ?」
低く、囁かれて、たまらなくなった。
「……途中で止めんなよ、馬鹿」
「しかし」
「ちゃんと……じ、てる、から」
内側にある熱いそれを、俺は締め付けた。不審そうに目を細めながらも、カシュトカデシュは再び行為に戻る。
熱が、上がる。思わず声を出しそうになって、白いその肩口に噛み付いた。痛い、とカシュトカデシュは小さく言う。
己が付けた歯型が揺れるのを見ながら、こいつは、このご立派な蝙蝠様は、一体どんな気分で天上とマルクータとの間を飛んでいるんだろうと、想像してみる。
多分カシュトカデシュは、俺が知らないと思ってる。気付かれていないと思ってるのだろう。
彼がそう思うのは間違いではない。
自国の機械技術と引き換えに、天上から科学技術を買う。それに際して彼の行った隠蔽工作は、素人芸の域を越えた、本格的なものだった。巧妙な情報操作、証拠隠滅。彼の行ったそれは、諜報員顔負けの工作だった。マルクータに情報が漏れたのは、恐らくカシュトカデシュの非からではないだろう。それが知れたのは単なる偶然からだった。蝙蝠を使っているのはトロメアや天上だけではなかった、それだけの話だ。
この世には、蝙蝠よりも、もっと性質の悪い連中が居る。こいつらはすぐ裏切る。国や組織は、彼らを長期で雇うのを嫌う。奴らに掛かれば、機密などあってもないも同然の屑にされてしまうからだ。
溝鼠や、土竜と呼ばれる存在。
二重蝙蝠。今回は、それが北の仕事に必要だったのだ。俺たちはたまたまそれを飼っていた。
運命が、少し俺たちに贔屓目を見させてくれたというだけの話なのだ。
(『恒常の平和』)
カシュトカデシュの手に己の手を重ね、自身を昂らせながら、俺は考える。
(因子装甲、証拠隠滅のための工作)
強くそこを握られて、声が漏れた。駄目、そこやばい、と訴えるが、調度向こうも限界だったらしく聞き入れられなかった。
俺は男の名を呼んだ。
(利用したんだ)
男も、低く俺の名を呼んだ。
(テロ組織と、マルクータ、こいつはどちらも利用したんだ)
(全く関係のない組織と、陰謀を噛み合わせて消す気だったんだ)
馬鹿は、利用されるしかなくて……利用、されるしかなくて、俺はカシュトカデシュの首にしがみついた。痛いほどに張ったそれを、相手の腹に押し付ける。カシュトカデシュも俺の腰骨を掴むと、身体を強く押し付けてきた。
白い閃光が意識の中に広がって、体液が互いを汚し、俺たちは果てた。
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