04.29.01:12
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09.29.12:29
Love Robs without Hesitation Ⅵ
惜しみなく、愛は奪う。
奪っていく。
愛は惜しみなく奪う 6
浅い眠りと朧げな覚醒を繰り返して、はっきりと目が覚めたと自覚したのは夕方だった。寝過ぎたか、思いながら服をととのえて起き上がり、隣室の扉を開ける。と、橙灯の目映い明かりに目が眩んだ。おはよう、と嫌味な声でカシュトカデシュが言う。ああ、おはよう、俺もそう答え曖昧に笑んだ。
「お前が持って来た情報の周辺を洗わせた」
あ、そう、良く働かない脳に適当に答えを見繕わせながら俺は伸びをする。俺が惰眠を貪っていた間に、この領主様はその持ち前の行動力を遺憾なく発揮していたというわけだった。彼らしい。
「疑わしい点は多々あるが、証拠に欠けるな。難しい」
あ、そう、欠伸の欠片を噛み殺しながら俺は答えた。証拠に欠ける、それはそうだろう。今の今まで、俺がこいつの元へ来るまで、この領主様はその「証拠」をご丁寧に握り潰していたのだ。己と天上の癒着を、痕跡すら残らぬやり方で。
証拠は、ない、というより残っていない、のだろうと俺は考えた。
「探ってみようか?」
少々意地の悪い提案を俺はした。案の定相手は丁重に断りを入れてくる。この先は、領内の威信に関わる問題になるかも知れないからいい、とか何とか、断る理由は流暢に述べられたが、俺はもうあまりよくは聞いていなかった。
他愛もないことをぽつぽつと喋り、夕飯が始まる少し前に俺は領主の部屋を辞した。
そうして、誰の許しも得ないまま、薄暗い機密管理用の書庫へと潜り込み、少し前の書類を手にする。処分用の棚に入ったそれは、明日の朝には燃やされてしまう書類だ。
城を後にし、中央通りを歩きながら俺は書類に目を落とす。やっぱりな、思って少し笑った。
天上からの機密輸入ルートと、恒常の平和の火薬輸入ルートは同じだった。裏切り者はここにも居たというわけだ。書類はカシュトカデシュの飼っている近衛の密偵の情報で、その旨を伝えるものだった。
闇に葬られる宿命のそれには、案の定、領主の閲覧済みの印が入っていた。
蝙蝠、蝙蝠。どちらを向いてもそればかりで笑えてしまう。思って笑うと、少し疲れた心地がした。蝙蝠への笑いは全て自嘲に繋がる。利用するのも、されるのも蝙蝠。
不愉快な抗争だった。
その夜中、日付が変わる少し前に、俺は工場をまた一つ潰した。
領内の蝙蝠は、その仕事をするには少し年をとり過ぎているような男だった。新たな構成員だ、身体以外は名前も知らぬ男にそう紹介されて俺は頭を下げた。手を握り、恒常の平和にようこそ、君もトロメアのために戦ってくれ、そう言われる。その言葉に愛想良く頷きながら、俺は差し出された手を強く握り返した。
温厚な兵器開発部門の担当高官の筈の人物、それが今はテロ組織を率いる鋭い男の顔をしている。そのギャップは妙に面白く、この男にカシュトカデシュは裏切られているのだ、そう思うと余計に笑えて困った。
領内の高官であるこの男はカシュトカデシュを裏切り、そして領主の密偵である俺はこの男を裏切ろうとしていた。
蝙蝠ばかりで笑えてしまう。
帰る場所さえ見失いそうだ。成功報酬の入った袋を受け取りながらそう思った。
■
暗い部屋に煙は、溶けるように薄れて消えた。闇に薄赤い煙草の先を見つめれば、その先を強く何処かに押し付けたい衝動に駆られる。埃塗れの机の上に置かれている火薬へと視線を動かすと、俺は口の端を歪めた。そんなことをしても、この焦燥がどうなるわけでもないと、分かっていたからだ。
窓枠で火を消すと埃っぽい寝台の横まで歩き、そのまま倒れ込んだ。
ばさ、と音をたてて空気が動き、塵が舞う。埃は嫌いだったが、掃除をする気にはなれなかった。どうせすぐに引き払う家だと分かっていたからだ。
分かっている。分かっていた。枕に頭を埋めて、息を吐く。
仕事は順調だった。上手くすれば今週末には孤児院へ帰れるだろうと俺は考えた。計画は完璧だった。憂えるべき事柄など、何もない筈だった。なのに何かが不愉快で不安で仕方がなかった。
俺は一体何を恐れているのだろう、考えてみる。
カシュトカデシュにでもあの男にでも嘘がばれることだろうか。仕事が失敗してマルクータから切られることだろうか。それとも。それとも。考えようとしたが、やめた。
「どうでもいい」
闇に向けて呟く。彼女の悲しみの凝っている闇に。
「憎まれてもいいんだ」
声に出してみると、幾らか安心出来た。
■
俺は仕事と偽り、身体しか知らぬ男の隠れ家を訪ねた。いや、名前は聞いたのかも知れない。しかし忘れた。思い出すことをしたくないだけなのかも知れない。分からない。どちらにせよ、彼にもう名前など意味はない。
俺は机に男を呼び寄せ、仕入れてきた火薬を見せると仕事の説明に入った。
「同時にィ?」
俺の説明を聞くと、男は目を白黒させながら素っ頓狂な声を上げた。煩い馬鹿、言うと俺はそのクシャクシャの頭を軽く叩いた。そうすることで、何だか気安いような錯覚を与える。彼にも自分にも。
「今までのやり方じゃ、せいぜい外観を壊すか、人がニ、三人死ぬか程度だろ。今度はそれを変えるんだ」
「どうやって?」
首を傾げる男に、俺は一枚の図面を差し出した。地下水道の地図だ。トロメアでは、地下水脈で生活用水を賄っている。そのため上水と下水は明確に区別され、きちんとした区画整理がなされているのだった。
「作業は数日で済む」
俺の描いた図面を見、男はヒュウと口笛を吹いた。
「いや、確かにこれなら行けるかもしれん」
だろ、俺は微笑む。気安そうに。まるで心を許してでもいる風に。これから騙す男に、哀れな男に俺は笑む。俺は笑む。気安く声を掛ける。冗談を言う。笑う。笑う、笑う、笑う。触れられて仰け反る。吐息を交わす。喘ぐ。身を捩る。これから騙す男にしがみつく。縋る。笑う。そして笑う。笑うのだった。良心の呵責など、小さなものだった。目を瞑って、幾許かの酒と煙草、快楽で忘れられるほど小さなものだった。いつか、そんな馬鹿な男も居たと思い出すこともあるのだろうか。そう俺は考えた。しかし答えは否だった。利用され、捨てられる男には名前など要らない。例えそれがどんなに良い奴でも、どんなに親しくても、ただ利用されるだけの男に、惜しむべき名前など存在しないのだった。目の前のこの男のように、カシュトカデシュにとっての自分のように。
騙される方が悪いのだった。
利用される方が馬鹿なのだった。同情などは無用だった。己も、この男も、カシュトカデシュも、テロ組織を率いるあの蝙蝠も、騙された方が潰れて死ぬのだ。
生き残るのは賢い奴だけだった。そして生き残る、それ以外に価値はないのだった。俺たちには。
「好きなやつでも居るのか?」
溜息を吐き、気だるさの濃く残る身体をベッドから起こすと、藪から棒に、隣にうつ伏せたままの男が問うた。
「……何を突然」
あまりの唐突さに、反論すら出来ずに俺はただ呆然と男を見下ろした。
「居るんだろ?」
居る、かも、と曖昧に俺は頷いた。居ると断言することは出来ないが、居ないというのは嘘になるとそう思ったからだ。
「何で、かも、なんだよ」
笑って俺の頭を小突くと、男はシガレットケースを放ってきた。黒いそれを受け止め、中から煙草を一本取り出すと、俺は燐寸を擦って火を生み出した。橙の灯りは俺の手の中でちらちらと揺れる。この小さな炎が少しずつ大きくなり、火薬の力を得て、あいつの町を嘗め尽くす。そんな光景を想像しながら、煙を吸った。
「お前、そういう顔だよ。自分と、心に決めたやつ以外は信じないって顔だ」
「そんなやつ居ねぇよ」
男の顔に、煙を吐きかけながら俺は答えた。男は不思議そうな顔をし、次いで得心したかのようにニヤリと口を歪めた。
「片思いかよ」
「違う」
「へェ?」
「好きでも、会えないから」
事実を伝えようとしたので、何だか呆気ない言い方になった。俺は事実はぶっきらぼうにしか語れない性質なのだった。
じ、と煙草が音をたて、冷たい灰がベッドに落ちた。ふう、と白いシーツの上のそれを俺は吹き飛ばす。死んだ花びらのようにそれは舞った。
「どうして」
そう問うて、いや問い掛けて、でも男は首を左右に振った。
「何だよ」
苦笑しながら俺は問う。立ち入らせ過ぎたと己を責めながら。もうすぐ死ぬ人間だと思って、情けを掛け過ぎた。本音を語り過ぎた。俺が失敗するのはいつもそれだ。
笑顔という名の無表情を纏うと、それより、あんたの話を聞かせろよ、俺は男をせっつき、彼が恒常の平和に組するようになった理由や、彼の故郷のことなどを訊いた。
トロメアを救いたいんだと、男は言った。組織を率いるあの男が翳す天上の力を使って、地底が豊かになることを望んでいるのだと。
王なんて居ない、誰もが自分の王で民になるような国を作るんだと、男は目を輝かせて語り、俺はしばしの間その夢に賛同し、酔ってみせた。
皆が幸せになれば良いと、そう、俺はその言葉に頷いた。頷いたが肯定はしなかった。
幸せになるのは、一人だけで良い。後は全部、自分も、部下も、仲間も、国民も、不幸で良い。俺はそう思っているのだった。
幸せになんか、なりたくないのだった。なれなくても良いのだった。けれども、そう言うことは簡単だったけれども、それを上手く説明するのは難しいように思えた。だから俺はそのことに関しては頑なに口を噤んだ。
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