04.29.03:15
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11.07.23:56
灰忌みの午後に僕は裸足でケダモノと
VINCAより前だよね、多分?3年くらい前か??
地平線は、仄青く霞み、風の音はまるで耳鳴りだ。申し訳程度に生えた枯れ木が、尚も未練がましく大地にしがみ付いている。その脇を、降り積もった灰に足を取られながらも足早に通り過ぎる。粉のように肌理細やかな灰は靴の中にまで入り込み、足は随分と窮屈だ。疲れ果て、少年は空を見上げる。空は相変わらずの鈍色だったが、灰は止んでいた。そこに、時折仄めかすように僅かに光る箇所がある。かつて太陽と呼ばれていたその光を、目にするようになったのはつい最近の事だ。吹き付ける風に外套のフードが外れる。舞い上がる灰に、少年は顔を庇うようにして歩いた。この灰で、人が死ぬ事を知っている。この灰で、人が狂う事を知っている。これは哲学なのだ、と彼は定義していた。そんな哲学などあってたまるか、と少年は思った。思っただけでなく言った。彼は曖昧に笑っていた。
足元の灰の中に、途切れがちに廃線の線路が続いている。それを頼りに、少年は北へ向かっていた。北で待ち合わせよう、と言われた。北の何処かは判らない。ただ北、とだけ言われた。だから北へ向かっている。このまま、最果てまでにだって行ってもいい、そう思った。どうせ死ぬんだ、そう思った。
彼が指定する待ち合わせ場所が曖昧なのは何時もの事だ。南だ東だ、と方角しか言わない。彼と行動を共にし始めた初めの頃、わざと見当外れの方角へ向かって歩いてみた事がある。けれど彼は現われた。見ると磁石は壊れていて、買ったばかりの新品同様の筈で、少年が首を傾げていると、磁気の強いところにでも行ったんじゃないの、と相変わらずの曖昧な笑顔で彼は言った。
歩いている事を、忘れそうになる。足は縺れて、何度も転んだ。北へ。妄執のように、言葉が頭を支配する。北へ。相変わらずの曖昧な笑顔で彼は言った。その言葉を忠実に実行する。その言葉に従う。縋る。その嘘に騙される。
『北で待ち合わせよう』
約束の地などありはしない。北へ向かおうと西へ行こうと、世界の何処を巡ろうと彼とはもう永遠に会うことはない。それでも尚、約束された事があったのだとしたら、それは少年が勇者には決して成り得ないという現実だけだった。そしてその現実と、少年の甘さと、彼の狡猾さ故に、二人は永遠に袂を別つ事になったのだった。
もう何度目になるか、足を灰にとられ転倒する。口の中に入り込むそれを、唾液ごと吐き捨てた。それで終わりだった。もう起き上がる気力すら湧かずに、少年はその場に蹲った。何処へ行っても彼がいないのなら、ここで終わりにしても同じ事なのだ、と思った。
仰向けに、灰の止んだ空を凝視する。風に雲は流れ、灰は巻き上げられる。舞う灰を掴もうと伸ばした手は空をきった。風が、酷く吹く。忌むべきものを排除する為だ。少年は思う。ならば自分ごと消し去ってしまえ、と。それは願いのような、祈りのような、そんな切実さを孕んでいた。
北へ行く。人の歩みによって自然に舗装された道を頼りに、北の丘を登る。途中、赤子の泣き声が聞こえた。頂上に拉げた古木が立っていて、その調度下で彼がこちらに気付いて手を振った。
「大将!」
「遅い」
曖昧に、彼は笑った。灰が絡まった髪の束が血に塗れて、頬にべったりと貼り付いていた。ただでさえ眼帯に隠されている顔の面積は、それで随分と少なくなったが、彼の眼光は片方だけでも十分過ぎるほど鋭く鮮烈だったので、これくらいが丁度いいのかも知れないな、と少年は思った。
拉げた木の枝からは麻紐が垂れていた。麻紐も、血に塗れていた。その下に、動かなくなってから随分経つらしい女の身体と、その腕には忙しなく泣き続ける赤子とがいた。
「-…大将」
「用があるのは子供の方だったし」
笑みが退く。それから、張り付いた髪を払い除けると座り込み、赤子の顔を覗き込む。彼の動きに倣い、少年も前屈みに赤子を見た。彼の骨張った長い指が赤子の額をなぞる。指に着いた血は、そのまま赤子の額に奇妙な鏡文字の数字を残した。そのまま、離した指先に、引き抜いた刃の切っ先を当てる。滴った血を一滴赤子の口内へ押し遣ると、漸く彼は立ち上がった。
「今日は終わり。後は七日後だな」
今度はこんな小さな子供が、と思うと少年はその七日後を酷く憂鬱になる。それから、養父が殺されたときを思い出す。彼が取り込んでいる時、それを実際に見ているわけではないのに、毎回見張りに立たされながら思い出す。背後で、租借する音に混じって嗚咽が聞こえてきても、聞こえないフリをする為のまじないのようなものだった。再確認なのかも知れない。
赤子から目を逸らし、抱きかかえたまま俯き動かない女を見た。その光景はまるで、女が泣き喚き泣きじゃくっているように見えた。
「キルス」
「泣いてる」
「その内誰か来るだろ。それよりほら、早くしないと俺達が見つかる」
「-…子供だ」
まだ、あんな目も開かないような子供だ。解れた女の髪が、簾のように赤子の髪に垂れかかる。
いつまでも歩き出さない事に痺れを切らしたのか、彼はぐい、と少年の手をひいた。実際はそんなに強い力でもなかったが、急に手をひかれて少年は前のめりに彼に凭れ掛かる羽目になった。行くぞ、と頭の上で声がする。すみません、と少年は彼に言葉を返し、そのまま二人は黙って歩いた。何となく、手は彼のひくままにした。握る彼の手は左で、いざという時利き手が使えないのは厄介なのではないか、と思ったがそんな事を心配してやる義理はなかった。もう一度、振り返り女と赤子を見ようとしたが、彼があまりに速く歩くものだから、結局上手く行かなかった。
「子供だ」
暫くそのままに歩いていると、彼が振り向かず前を見たまま言った。表情は窺い知れず、灰まみれの輪郭線だけが頼りなげに見えた。するり、と少年の手が抜け落ちる。歩む速度を一向に緩めることなく、彼は歩いている。
「-…子供だよ、お前も俺も」
「?」
少年には、言っている意味が理解出来なかった。彼は、それだけ言うとまた黙って歩いた。少年は、それに従った。振り返っても、もう女と赤子の姿は見えなかった。白い砂のような灰の上に、延々と二人分の足跡が連なっている、ただそれだけだった。
本当は、少年が彼の手をひきたかったのだと、もっと早くに気付くべきだった。
『君じゃ勇者になれないんだよ、坊や』
それから少しして、少年は道化師に会った。
暗い、影のような男だった。
『だって、本当は囚われのお姫様も、悪い魔法使いもいないんだからね』
灰忌みの午後に僕は裸足でケダモノと
風が止む。鈍色の空は徐々に光を取り戻していく。その光景に、少年は身を起こした。外套から、音もなく灰が落ちる。それは地面に落ちると雪解けのように儚く消えた。その意味を理解して、少年は絶望する。外套に、靴の中に、衣服に纏わりついた灰という灰を掻き集める。それが手の中で消える。
「-…ッッ」
灰は、忌むべきもの、病んだもの。その存在を否定しなくてはいけない、世界の病。
残された少年は、まるで一点の紙魚のようだ、と自身を嘲りながら笑った。
少年は彼を愛していた。けれど彼は少年を愛していなかった。
ただそれだけの事だった。
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