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  • 04/29/01:28

07.22.02:35

再録。

一応マイナーチェンジしてみたけれど、一度読んでる人にはどうでも宜しい限り(笑)。
取り敢えず、本当に誰も真相に辿り着かない……orz




 ゆっくりと目を開く。桿体から錐体への急激な機能の移り変わりに、情報が痛みとなって押し寄せる。真っ白に開けた世界が徐々に鮮明になり、色を得る。――天国。開けた視界に収まる光景に対して抱いた第一印象はそれだった。足元には緑の絨毯が生い茂り、つま先から踝までを覆っている。少しずつ視線を上げる。果て無く広がる淡い黄緑色を帯びた空は雲の内側から輝くように白く、何本もの光の柱が仄昏く巨大な水溜りに向かって延びていた。昏い水溜りはどす黒く静止したまま動かない。空と同じように水溜りにも果ては見えず、決して交わることのない空と水面との境界が鮮烈なコントラストを描いていた。周囲は明るいが、暑くはない。空は輝いているが、光源はない。影を探そうと足元に目を落とすが、草原の上に自分の影は見つからなかった。夢のように美しい情景が広がっているのに、どうしようもないほどの寂寞とした念に捉われる。これは自分の感情ではない、と男は思った。光源はないのに、自分以外のありとあらゆる存在が輪郭を色濃く浮彫りにし陰を落としている。油凪の水溜りに囲まれた、何処からも隔絶されたこの空間で一人存在を認められていないようだった。孤独なことだったが、不快ではなかった。ただ周囲を取り巻く平坦な空間が自分には酷く不相応に思えて、瞼を閉じようとするが一度開いた目は二度閉ざすことが出来ないのがこの世界の決まりらしい。緩慢に引き攣るような痛みが眼球の表面を走る、気がする。苦しくて叫びたいが――寂寞とした「誰か」の念が胸を締め付けるからだ――声が出ない。声が出ないのだ、と気付くと急激に周囲を取り巻く静寂が意識された。辺りは全くの無風だった。昏い水面は静止したまま氷り付いたように動かない。眩暈がして右手を突いた。手を突いて、そこに在る建造物に気付いた。白亜の石壁に突いた手はそれに負けないくらい白く、僅かだが力の込められた指先がほんの少し色味を帯びていた。右側から倒れ込むようにして白壁に背を預けて座り込む。敷き詰められた緑の向こう水平の果てから頭上を覆って再び水平に消えて行く、真っ白な、広い広い絶望をじっと見つめる。思考を廻らせるのも、動くのも自分だけの空間では全ての感覚を遠く置き去りにし、事象も影も、人も皆死に絶えて久しい。皆、遠くで死んでしまったのだ。遠くで、とても遠くで死んでしまった。自分の知らない、遥か遠い最果ての地で死んでしまったのだった。懐かしい人々を――死んでしまった人々を男は思い出そうとしたが、氷り付いた闇のない世界では思い出は巡らないらしい。仕方がなく、男は待った。草原に座り込んだまま、男は待つ。しかし、夜は来ない。そうだ、と男は思った。ここに夜はないのだった。永遠に夜は訪れない。この場所では、大地すらも動かないのだった。動くのは男だけ、この世界を作った男だけなのだった。首を傾けて、水平線を見遣る。空と水との間では、真っ直ぐな、何処までも酷く真っ直ぐな水平が、こちらを見ている。今度こそ本当に自分が感じたままに悲しくなって、男は笑う。空に向かって、いつまでも笑う。

 寂しい夢だと赤毛の子供は言った。眠るときに手を繋いでいてあげる、と娘は言った。
 そして会ったこともない懐かしい彼は、俺も居たよと言った。そこに居たよ、と応えた。
 馬鹿馬鹿しい、けれど優しい枕話だと、金色の髪の子供は笑った。嘘を嘘だと決め付けて、柔らかく、優しく子供は笑った。朝の軽い光を受けて、彼と同じ白い黄金を輝かせながら、今日も子供は清らかに笑う。彼の居た場所で子供が笑うようになってからの日々を、男は数えようとしてやめる。

 軋む寝台から這い出ると、周囲を見渡す。一度目は素早く、二度目はゆっくりと視界が移り変わった。そうして、かつて望んだものがそのままの姿であることを確認し安堵する。遠くから聞こえる小鳥の鳴き声と羽音、冷たい空気と水音、そして何より、何者でもない自分の姿を確認する。
 目覚めてしまいさえすれば、過去の明るい絶望は夢の傍で大人しくしている。光源のない白い空と、風のない黒い海――目覚めていつもあの水溜りが海と呼ばれるようになった存在と同一であることを思い出す**は目を閉じて見る側の世界で折り目正しく息を潜めている。彼と巡り合うその日を、待ち続ける限りその記憶は現実世界の影のように寄り添い続ける。叶う筈のない遠い約束を、嘘を、男は懐かしく思い出す。
 遠退いたままの感覚を無理矢理に手繰り寄せながら、自分より背の高かった彼を掻き抱いた。白い闇の中、皺の寄った厚手の綾織りのコート越しに彼の骨が感じられた。何枚かの重なった布の向こう、そしてその下の滑らかな肌が、赤く脈打つ内臓を隠していた。肩口に額を押し当てたまま首筋に耳を寄せてみれば、確かな呼吸音の向こうに、くぐもった鼓動が響いていた。彼ではない彼の血の巡る音を聞きながら、白い闇がやがて全てを拭い去るのを、少年だった男は息を潜めて待った。
 骨と肉で作られた器の中に魂と呼ばれるものが存在しているような感覚、優しいものがそこに存在していることを信じられるかのような感覚が夢の後には必ずあった。
 空の広さが、絶望の大きさが、目覚めた後の自分をそう錯覚させているのだと、理性の何処かは気付いていたが、孤島の夢はいつも男を弱くした。目晦ましにでも騙されていたいと思わせるくらいに、弱くした。

 深い水の中で生まれ、その更に深いところで暮らしてはいたが、身体を得るまで男は水を知覚したことがなかった。知識の上で水は知っていたし、かつて巨大な水溜りが存在し、それを海と呼んでいたのだということも知ってはいた。ただ自分のものではない目や、耳や、鼻や、口や、手ではそれらを知覚するまでには至らなかった。まして滅んだ筈の大海原を目の前にすることなど尚更だった。いつか太陽に灼かれ、耳を擽る潮騒を聞きたいと本当に思ったのは、肉体を得、彼が死に、そして彼ではない彼と出会ってからのことになる。
 だから、夢に出てくるあの孤島は、多分、幼い頃の自分の、想像の中のものなのだと思う。
 ホログラフィック-メモリー上での知識しかない、海の景色なのだと思う。
 だから、男は彼に縋るしか出来なかったのだと、そう思う。

 

愛とは自分の持つすべてのものを相手に与えても惜しいものではない
愛は惜しみなく与う、と聖書は記す

愛とは相手の持つすべてを奪って自己のものにしようとすることである
愛は惜しみなく奪う、と先哲は語る

愛とは生きていく上で必ずしも必要なものではない
だが与うにせよ奪うにせよ愛は生を惜しみなく豊かにする


Hisakura Peccatum Originale

 

 水、水、水――果てしなく、前を向いても、後ろを向いてもただ巨大な水溜りが広がっている。
 性質の悪い夢だ。短く息を吐くつもりが、それは誰が聞いても明らかな嘲笑として響いた。今度こそ本当に、ただし今度は深く長く息を吐いた。
 鮮やかな緑も、黒々とした水溜りも、明るい空も、馴染みがない。白亜の白壁もただ目に痛いだけだ。ここが地獄なのだとすると、それはそれで相応しい気がしないでもなかった。その皮肉を納得していたからだ。
 その場から一歩前に踏み出す。柔らかい草の感触に馴れず妙な気分になる。こんな風に緑色の上を歩いたのは七年近く前のことだった。これを人は感傷と言うのだろうか、と大して興味もないことに思考を働かせながら少年はゆっくりと歩を進めた。聞こえるのは風の音と、水がゆったりと蠢く音だけだ。だから少年はその巨大な水溜りがかつて海と呼ばれていたもので、周囲に漠然と広がる情景が益々在り得ないものなのだな、と思う。そしてこれは誰の思い出だろう、と思う。
 海に四方を囲まれたこの大地のほぼ中央に小高い丘があり、そこには細かな装飾の施された白亜の建造物が在った。美しいとは思ったが、それだけだった。潮風に晒されているのにこの建物には少しも風化した箇所がなく、何処か余所余所しい雰囲気が少年の感想を素っ気無いものにさせた。高く聳え立つ尖塔のような石柱の中央の、重厚なオーク調の両開きの扉に手を掛ける。扉は重く閉ざされたまま、押しても引いても開く気配を見せなかった。この程度の扉なら武器がなくても力尽くで叩き壊してしまうことも出来る、と思った。思ったが、この向こうには自分が求めているものはまだない気がした。扉が閉ざされている、というのには閉ざされているだけの理由がある。特に、こういった場所では触れられたくない秘密が、扉の向こうには眠っていることが多い。だから、触れない。無理矢理に暴くことをしたくない。
 自分を拒む扉に背を向けて、白い石畳に舗装された道を歩く。簡素な階段を下り、振り返って今まで居た丘の上の建造物を見上げた。少し遠くから見たその建造物は神殿のようだった。なら、彼の地で祀られている神の名は何だろう、と少年は思った。
 丘の下は相変わらずの緑で覆い尽くされている。あまり巨大な榛蕪が育たない土地なのか、絶え間なく吹き付ける潮風の所為か、痩せ細った木が疎らに生えているのが見えた。後は存在を主張しない岩と、恐らくは何の意味もなさない桟橋が水平線に向かって真っ直ぐに伸びていた。それだけが己の存在を外界に主張する唯一の術なのだと、そう訴え掛けているかのようでもあった。その静かで悲しい主張の傍らに、更に下へ下りる為の階段を見つけて、少年は桟橋の方へ向かう。祀る神のない神殿と同じ色をした桟橋の下に色味の薄い砂浜が広がっているのが見えた。歩きながら、ゆるやかに動いた冷たい潮風に目を細める。掌で扇いだ程の風ですら、砂粒を含んでいる。顔の前に慰め程度に手をかざした。
 忌々しい、と風が過ぎ去るのを待って少年は手を下ろした。その間も俯いたまま進めていた歩は、視界を緑から白へと変えていた。顔を上げ、左手に見えていた眼下の砂浜を見遣る。そしてそこに、浅い無彩色の砂地に、白く溶け込むような男の背中を見つけた。重たい風が、彼の髪を静かに撫でて去って行く。その足元に黒く小さな塊を見つけるが、桟橋の上からではそれが何であるのかまでは判らなかった。
「遅かったな」
 色味の薄い金色の髪を風に靡かせながら、ぼんやりと男は呟いた。少年は男から視線を逸らし、水平に目を遣りながら階段を下りた。草原とも石畳とも違う、砂地の感触はよく見知ったものに似ていた。
「もう、全部終わった」
「終わった?」
 少年が問うと、男は背を向けたままそれでも確かに頷いた。
「全部終わった。だから俺をどうかしようとか、もう、そういうのは無駄だ」
 砂地を踏み締めながら、ゆっくりと男へ近付いて行く。それでもまだ大分距離があるというところで、漸く男の足元に在る黒い塊が何であるのかを理解した。広がった闇色の布の端から僅かに、白く細い手が覗いていた。それだけだった。
「それで、お前は何だ?」
 男が言った。そして振り返る。その背中を見つけた時から、ああこの場所は何でもアリなのだ、と驚くよりも疲れと呆れを感じた。だから男の顔が鏡映しのように自分の顔と同じ造りをしていても、特に驚いたりはしなかった。けれど何故か振り返った男の方が眉をひそめて、それが何だか可笑しかった。右も左も解からない状態で、それでも急に優しい気持ちになって浅く笑みが零れた。男は益々訳が解からない、といった表情で少年を見つめて来た。
 男から視線を外し、再び光る白と海の交わる辺りを眺める。視界の端で男の視線も水平線へ向けられた。
 少年はしゃがみ込み片手で砂を掬う。コートの裾が少し水に濡れた。水平を睨んだまま動かない男の横で、砂を握っては落とす。冷たい砂の感触と、落とされ、描かれる模様を見るともなしに見つめていた。音もなく無数の石が風に流される。ふと、空から降り注ぎ、降り積もった悪意の灰を思い出した。自分の立っている大地が、全て死滅した秩序と死んだ人々のかけらなのかと思うと、足首の関節の辺りが軋む感じがした。死んでしまっても、自分は同じように灰にはなれないと知っていても、死に、腐り、塵に返る自分を想像して、恐ろしくなったことを思い出す。
 気が付くと手元に陰りが出来ていた。傍らに広がる虚無の海と同じ色をした双眸が少年に向けられていた。
「俺は――死んでるんだろうな、多分」
 男が投げ掛けた問いに答えたつもりだった。なのに傍らに立ち竦む男が傍目にも分かる程に息を飲んだのが可笑しかった。
「何なんだよ……」
 少年から視線を外しながら零れた声は問いというより独り言のように響いたので、今度は特に何も言葉を返さなかった。重たいカーテンをめくるようにゆっくり、風が吹きぬけ砂塵を上げた。
 風と共に形容しがたい沈黙が流れる。
 まるで灰色の幕が二人の間に揺れているように、景色の色が薄い。昏い海が、男の眼差しのように揺らいでいた。降り積もる死のこと、その数少ない生き残りのこと、かつては海が広がっていた世界のことを少年は考えた。
 暫らくして、言葉をなくしたまま水平線を見つめていただけの男が億劫そうに口を開いた。
「……ここは寂しい」
「俺は……懐かしい、かな」
 再び視線を向けられたのに気付いたが、少年はそのまま目を閉じてそれを遣り過ごした。そして特に焦点は定めずに、海を見遣るべく細く目を開く。遠い故郷を語るような口調で言葉を続けた。
「でも、寂しいと貴方が思うなら、ここを離れたら良い」
 うねる水の流れが、不意に動かない灰の波を連想させた。
「理由なんて最初は誰も持ってないんだ、好きに生きれば良いんだろうよ」
 なあ青年、と男を見上げて笑い立ち上がった。彼の背後で、白く輝く緑の空が、古い記録でしか見たことのない蒼穹と重なった。周囲の空気は寂寥とした冷たさを孕んでいるのに、なのに何故か、一瞬、柔らかな日差しを感じた。吹き抜ける風の音は遠退いて、幻聴はそのまま木々のざわめきへと勝手に変わり、無性に少年の心を掻き騒がせた。
 誰かに、こんなにも何かを望んだのは初めてだった。
「生きなよ。全部終わったなんて、悲しいことは言わないで生きれば良い。貴方は脅えているかも知れないけど、世界は貴方を拒まない」
 今度こそ本当にはっきりと判る程、男は驚いた。その表情は自分と同じ顔というよりも、もっと他の大切だった人を連想させる。同時に投げ掛けた言葉に対する反応に、酷く、悲しい気持ちになった。そして男が返した答えに、その時のはにかんだような笑顔に、今度はどうしようもなく泣きたくなった。
「誰かに、そんなことを言われたのは初めてだ」
 先程脳裏を掠めた悲しい予感を男に見透かされたような気がした。微笑み返すことは出来たが、結局男の顔を直視していることが出来ずに視線を砂地に落とす。男の背後に落ちたままの黒い塊から覗く白い腕が、異様に浮き上がって見えた。
「でも駄目だ」
 思わぬ否定の言葉に、反射的に顔を上げる。男の口許は相変わらず笑みの形を崩してはいなかったが、その眉は何処か諦めたようにひそめられていた。
「俺は何も選ばないことを選んだから、俺は俺であることを選んだから……ここから出れない」
 言うと男は背を向けて歩き出す。男の羽織る白いコートが風に靡いた。その背中を視線で追いながら、自分が感じる悲しみも、泣きたいという感情も全て、あの男のものなのだな、と思った。
 倒れたまま動かない、黒い塊の傍らに男は戻るとその場に屈んだ。彼は背中を向けていて何をしているのかこちらからは判らない。ただ意志をなくした白い腕が、成すがままに揺り動かされていた。屈む男は行き倒れた人の身包みを漁る野盗のようだった。ただ生きる為に、他者から何かを奪う。奪い去ることになってでさえ、それを糧に生きることを望んでいるように見えた。
 やがて男は静かに立ち上がると、先に肩越しにこちらを見てから完全に振り返った。その手に何か持っている。男が揺り動かした所為か、少年の立つ角度からでは白い腕は見えなくなっていた。
 男が手にしているのは歪に湾曲した板のような形をしていた。その両端を男は包み込むように両手で掴み、見つめていた。その無感動な瞳を、懐かしい絶望と重ねて思わず少年は彼に駆け寄る。そして彼の両手に、自分のものを重ねた。
「望めば良いんだ……多分、俺はまだ貴方の望みを叶えてあげられる」
「何だ、それ」
 男は肩を震わせて笑ったが、視線を上げることはしなかった。
「それで、お前は今度は俺に何を望むんだ」
「誰の代わりでもない、貴方として生きて」
 思いの外、はっきりと声が響いたことに少年は満足した。そして男の手に重ねたままの、自身の両手の間にあるものを初めて見た。そこにあったのは黒く罅割れた仮面で、古い時代の言葉が赤い文字で書き込まれていた。口にあたる部分には、作り物の生気のない目玉が埋め込まれている。その視線を睨みつけるように見つめ返しながら、次に続く言葉を探そうと必死だった。
「誰も望まなくても、貴方自身が貴方を望まなくても――貴方が誰でなくても、俺は貴方を望むよ」
 ゆっくり、剥がすようにして彼の指を解いた。仮面が砂地に落ちて乾いた音をたてても視線で追ったりしなかった。顔を上げると男は困ったような顔をして口を開きかけたが、結局言葉が続かずに俯いてしまった。
「逆に言うなら、貴方が望まなくてももう決めた」
「――~~ッッ」
 勢い良く顔を上げた男と視線がぶつかる。自分より少し高い位置にある男の顔に向かって、ただ微笑み返す。手を離して、僅かに残った温もりに口付ける。
 最初、視界に広がった情景を見たときに随分と皮肉たっぷりな地獄があったものだな、と思った。なのに今はここが天国にすら思える。自分のような人間が行けるところではないと理解していながらそれでも尚、最期にこんな良い目を見させてくれるなら生と死との狭間であるこの夢のような時間を、天国と形容しても許されるような気がした。本当は天国も地獄も信じてなどいないのに、漠然とそんな幻想に縋りたくなった。
「本当に、何なんだよ、お前」
「だから、死んでるんだって」
「そうじゃなくて、死ぬ前は何だよ……」
「ただの悪党だよ。だからこうやって善行して点数でも稼いでおこうかな、とか」
 少年の言う「死ぬ」という言葉を今ひとつ信用していないらしい男は、わざとらしく溜息を吐いて視線を逸らした。自分と同じ顔の、良く見知った人間はこういう露骨に不機嫌な態度というものをあまり露わにすることはなかったので、それが何だか小さな子供のようで少し扱いに困る。それでも周囲に流れる沈黙は先程までより随分と穏やかで、そのことには安堵した。
 視線を合わせないよう完全に背を向けてしまった男に苦笑を一つ洩らす。丘の上の木々が風に揺れ、白壁に埋め込まれた扉が遠目に昏く落ち窪んで見える。
「もしかして、さ」
 完全に意識を丘の方に向けていたので反応が少し遅れる。振り返ると男は相変わらず背を向けたままだった。先の言葉は既に用意してあるだろうに、続けることを躊躇っているようだった。けれど間を置かず、彼は決意したように振り返ると口を開いた。
「もしかして、お前が、『彼』?」
 質問の意味が解からない。それでも理解しようともう一度頭の中で彼の問いを反復するが、無駄だった。質問の意図をもう少し詳しく説明してくれるよう、口を開こうとしたところで彼の言葉がそれを遮った。
「いや、悪い。やっぱ、いい」
 自分の投げ掛けた問い掛けを早くも後悔しているような、少年から返されるであろう答えに脅えているかのような、そのどちらともつかない表情で男は言った。
 彼が打ち切った質問の代わりに、今度は少年が問い掛けをした。丘の上を指差しながら言葉を紡ぐ。
「あの建物」男の視線が指を差し向けた方へ注がれる。「扉が閉まってたんだけど、中はどうなってるんだろう」
 腕を下ろし、男の方へ視線を戻す。彼はまだ丘の上を見つめていた。その横顔は無表情で無感動だったが、視線に気付くと柔らかく笑う。この笑顔は知っている。特に楽しくもないくせに、と少年は苦虫を噛み潰す。
 どうしてこんなところに自分は居るのだろう、と一瞬は思ったが、それは数年前に自らも承知して、仕方ないと諦めて、それでもきっとこんな日が来ると思っていたのだから、あまりにも今更だった。こうして目の前に居るこの男が誰であろうと、漸く過去の思いを完全に殺すことが出来る。置き去りにされた大切な人々はどうしただろう、とふと思う。優しい彼らは我慢できずに泣いたかも知れない。本当に、可哀相なことをしたと反省している。
 もし自分が罪人と呼ばれるのなら、最初の罪は生まれてすぐに既に犯している。
 その罪の重さだけで、自分はどんな理不尽な死も受け入れられるのだろう。
「何もない」
 いっそ唐突に男が答えを放るので、その突拍子のなさに少年はますます嫌な顔をした。けれどその答えは最初から誂えられていたかのように納得の行くものだった。きっとあれは彼の深い泥なのだな、とそう思った。死んだ灰が、滅んだ水を吸って重たく降り積もったのだろうな、とそう思った。そして、そんな深く白い闇から男は生まれた。
 返された悲しい答えに、だから男はこの場所を「寂しい」と言ったのだと理解した。そして、だからこそ自分はこの場所が懐かしいのだと、そう感じた。
 ここは、胞衣だ。男を守り、育み、そして永遠に閉じ込める為の籠だ。
 昔、一人の男が途方もない、そして唯一の欲を口にした。そんな男に最初に手を貸すと決めたのは自分だ。その後始末は、どうしたって自分と彼でしなければならない。
 混沌とした感情を代弁するように、世界が震えた。制御し難い怒りにも似たそれは、目の前の哀れな犠牲者に向けたものではない。砂地に倒れたまま動かない、愚かな子供の本能へと向けられたものですらない。
 わざとらしく息を吸って、合図の代わりにする。
「――生まれておいで」
 冷たく、身を切るような暗黙の約束は、決して破られはしない。
 ――本当は、もっと相応しい厳しく強い言詞で、この胎児を世界へと導かなくてはならなかったのだけれど、それくらいは許して欲しいと少年は思う。今この時を逃せば、彼はこのまま死んで行ける。だからこそ少年は同じだけの後悔と満足と幾らかの罪悪感をもって、等倍に和らげた言葉で最後の一仕事をすることにした。
 短い沈黙を、湿った風が撫でていった。
 約束よりも希釈された符牒を用いた処刑者を咎めてくれてもいいと思ったけれど、何も知らないこの男がそうしないことは充分に解かっている。もしかすると天性の嗅覚で善意の言葉に包まれた向こうの真意を嗅ぎ取っているかも知れないが、そうならそうで生まれつきの支配者たる男は、そうした境界を見誤ることは決してない。
「ありがとう」
 静かに、男はまず礼を言った。丘の上の胞衣を見つめていた視線を落とし、少年と同じように砂地に蹲る黒い塊を見る。そうして取り落とした歪な仮面を拾い上げて、口許に当てる。
 氷が割れるような音が、遠くで一つ響いた。
「俺を、信じてくれて」
 塩気を含んだ風に馴れない所為か、晒され続けた目が嫌に痛い。少年は一度強く瞼を閉じると、薄く目を開けて風の流れてくる方向を探して視線を上げた。鼻がツンと尖るように痛む。そう強くない筈の潮風に咽たような気になった。
 礼を、言われた。信じてくれてありがとう、と男は言った。昏い、昏い、白い闇を、自身を絡め取る胞衣を、そうやって男は破り捨て取り払った。
 辿り着いた先に望むものはなかった、それを嘆いているのかどうかは判らない。けれど、絶望はしていないのだと思う。足元には柔らかな緑の絨毯が広がり、眼前には果てない海が波打って、輝くような明るい空が頭上を覆っている――ただそれだけの不完全さを、一人で夢に籠もり、叶う、その可能性を善しとしなかった彼の、或いはその意地だけで。
 約束には足りない、この場所においてはその色が唯一存在する箇所を手で触れる。
 生まれることを諦めた、この成り損ないの胎児の夢の中でくらい、頭上を都合良く一面の青で覆ってもいいだろうと、諸々の喜劇と悲劇の共謀者は、それだけを強く思った。
「泣くなよ」
 からかうように男が言うので、少年はたっぷり間を置いてから、不機嫌そうに返す。
「誰がだ」
 泣くなら貴方がだろう、と少年は投げ遣りに言った。視線は逸らしたままだった。男は小さく笑み、手にした仮面を放った。歪な仮面は、綺麗な放物線を描いて昏い海に飲み込まれた。
「産声を上げるにしても、この図体じゃそれより先に上手く生きて行く練習をしなくちゃならない」
 よく見知った顔の男は、よく見知った表情で笑いながら、その誰もが決して言わなかったようなことをわざと口にしたので、少年は漸く少し笑い、精々頑張れば良い、と低く誂えた口調で切り捨てた。
「適当にやるさ。折角のチャンスだし」
「さぁてねぇ?ここでヒッキーしてる方が楽かもよ」
「そうなのか?まぁここ以外知らないしな」
 いくらでも好きにしろ、と軽い調子で少年は言った。投げ出された世界の醜さに絶望し、無理に彼を生かしたのだと思い込めるなら、そうしたって良いくらいだ。真っ白に広がる空が今一面に青く染め抜かれるような、そんな奇跡は起こらないけれど、遠く自分のものではない思いに思いを馳せるその脳裏でなら、いくらでも可能な夢だろう。想望し続けた情景ではない、鏡合わせのように何処か違和感のある結末として第三者の目には映るかも知れない。けれど妥協でも諦念でもなく、それはそれでいい。
「おい」
 静かな声が呼んだ。
「……ん」
 長く息を吐き、少年は答えるように顔を上げた。視界の端で、黒々とした海が一層深くうねった。絡め取られたが最後、簡単に這い上がることは出来ないが、飲み込まれた事物がそう易々と砕かれる訳ではない。昔居た、寂しい男が自らの仮面を一つ砕いていったように、全て細かく散って見えなくなるような、都合の良い最後を用意してくれる現実は、そうはないのだ。
 そんな現実に、何も知らないこの男は一人挑もうとしている。恐らくは、その行為の意図するところも深く知りはしない。
 放物線を描いて深く海に消えた仮面が、自分に誂えられたものだったらどんなに良かっただろう、と少年は思う。
「ここを出る。手を貸してくれ」
 潮風に不揃いな黄金を遊ばせながら、男は言った。
 黒い手袋に覆われた、その下の土気色の肌を想像しながら彼の両手を取った。何も持たない頼りない手は、そっと少年の手を握り返してきた。「準備は?」と嬉しいような、泣きたいような気持ちで言った。
「ありがとう」
 優しい言葉に込み上げるものを必死で押し留めた。
「本当に、」
 言い掛けて、彼はやめた。代わりに苦笑が漏れる。きっとまた同じ言葉を続けそうになったのだろう、何だよ、と問いながら小さく笑う。
「本当に、」
 男は辺りを見渡たす。少年はその様子を眺めていただけだが、何もない小さな島でも二人きりではとても広く感じる。
 彼がこの懐かしい場所でどんなことを考え、思い、行動したのか、それは少年の知るところではない。どんな孤独や、理不尽さの果てに、それでも少年の手を取ることにしたのか、勿論その理由を知る筈もない。
 だから、多分、待つことしか出来なかった。
「お前……」
 一通り見て、最後にまた視線が元の位置に戻って、男は小さく呟いた。その誰に向けられたものでもない声音に、その先に続く言葉に、大方の予測がつきながら、それでもやはり、ただ待った。
「お前、は」
 呆然とした響きだが、今度は確かにこちらに向けられたものだと解かった。主語が欠けていても、何を訴え掛けたいのかよく解かった。
 迷う。
 嘘を吐いて、煙に巻いて、誤魔化してしまおうか、迷う。
「どうするんだ」
「言っただろう」
 笑顔は崩さずにいられたと思う。声は明るかった。
 ここに来て良かったと、幸福だったと少年は思う。どうしたって忘れることの出来ない約束の面影を、苦い気持ちで受け入れずに済んだのは、重く圧し掛かる後悔を誤魔化さずに受け止められたのは、彼が他の誰でもない彼の笑顔で以て自分に接してくれていたからこそだろう。
 欲を言い出せばキリがない。解かっている。
 視界がもう少し広くて、体中を駆け巡るような痛みと、醜く膿んで腐った半身とがなければ、彼と一緒に蒼穹を見上げることを望むのに、と考えて、少年は軽く首を振った。諦めのように見えたかも知れない。
「俺は悪党なんだ。それで、死んで、今その点数稼ぎをした。だから」
 産声を上げるのとは、逆の方へ落ちていかなくてはならない。彼の言っていた、「何もない」あの深く底の知れない泥の沼を目指さなくてはならない。振り撒いた死が、滅びを吸って重たくなったあの場所へ還らなくてはならない。
「……うん、だから、ありがとう」
 言わなくては、と思った。彼のくれた言葉を、静かに繰り返した。
「貴方に会えて良かった」
 少し高い目線に合わせて、微笑む。
「本当に?」
「勿論」
 これ以上、どんな言葉を紡げば良いのか分からなくなった。ただ早くしないと間を持たせる為に、望まない言葉を矢継ぎ早に口にしそうでそれが怖かった。掌から伝わる布越しの僅かな体温や、小さく響く鼓動が意味を持ち出すのが怖かった。
 何かを失う前と後とでは、こんなにも世界は反転してしまうのだと初めて知った。
「じゃあ、行くよ」
 僅かに悩んで、そう告げた。別れの言葉は選べなかった。出会ってもいないのだから、これは決別ですらないのだとそう思いたかったからなのかも知れない。
 何となく、「いってらっしゃい」という言葉が思い浮かんだ。でもきっとこれは男の望む言葉ではない気がしたし、ここに良い思いはなさそうなのでやめた。例え彼が「いってきます」と返しても、彼はここに戻ることは永遠にないし、またその時自分もここには居ない。なるべくなら嘘は吐きたくなかったし、出来もしないことを言わせたくもなかった。
 重なる視線の向こう、見上げた男の瞳が僅かに揺らいだ。少年はそれを見逃さなかったが、何かの間違いではないかと先に思ってしまった。
 けれど逡巡はあった。同じように短かったけれど、彼にも確かに迷う時間があった。
 それから、男は微笑んだ。少しだけ無理をしていると、今度ははっきり判った。どうして、と声が出掛かる。その言葉に続きそうになる彼ではない男の名前に、そういえば自分は名乗ってすらいなかったことを今更ながら唐突に思い当たった。だから彼は自分を呼び掛けるとき、いつも少し迷う素振りを見せていたのだ。そんな哀しい顔をさせたいわけではないのだと、言おうとするが彼の名前が見当たらない。
「俺は……」
「……ッ、テ」
 愚かな逡巡より、純粋な行動の方が早くて息が詰まる。
「俺は、お前に生きてて欲しい」
 きっと残してきた誰もが自分に望みながら、決して口にすることのなかった言葉と攫うように抱きすくめてきた両腕の方が早くて、少年は暫し、言葉を失った。
 これは何でも今更だろう、と誰に向けたものでもない悪態に自分が一番呆れた。何と答えて良いのか解からず、黙ってしまった少年の身体を縋るのではない必死さで男は抱きしめた。ただ言葉を待つように、腕に込めた力を少し強くしただけで何も言わなかった。
 彼の言葉が、ひどく訴え掛けるのは――本当は、それを望んでいるからだ。
 嘘を吐かずに生きることは、こんなにも苦しくて、切ないくらいに温かい。
 彼の頭を撫でながら、本当に自分が返したい言葉を探す。それは多分すぐ近くで、けれど手を伸ばしても届かない位置で、いつもただそこに穏やかに在った。
「過去が、俺を生かしてたんじゃない」
 男の名前を呼ぼうとした。けれど口は、泣いていた小さな子供の名を呼ぼうと動いた。必死に、それを押し留める。その背中に腕を回してはいけないと思ったけれど、掌は綾織りの上を滑っていた。
「貴方が居るから、俺は生きてた」
 彼の息遣いの向こうで、またガラスの割れるような音がした。今度は一度でなく、連続して何度も響いた。それは胚膜を破る音だ。彼の先行きを思い、この選択を後悔しても最善だったのだと思えるよう願った。
 ひどく幸福な気持ちだった。
 深く息を吸って、少し身体を離して笑いかける。古い記憶より近くなった金色の髪を梳きながら、きっと今自分はひどい顔をしているのだろうな、と思った。でもそれは彼も同じようなものだったし、それならそれで構わない。微笑み掛けられるなら、そうしたかった。彼の問いに、まだ何一つとして答えを返すことは出来ない代わりではなく、純粋に、ただ離れ難い。けれども、とても満たされている。
 もう一度、深呼吸をする。
 伝えたい言葉はまだ見付からない。彼の望みと自分の望みとに一番近い言葉に何となく気付いてはいても、許したくないという思いに押し潰されるのが怖い。
「俺を、信じて……俺の魂が、お前に生きて欲しいって思うんだ!」
 罪を知らない子供は、そうやって無責任に希望を突き付ける。その温かさに溶けるように崩れて、薄い筋肉の付いた肩に額を押し当てた。
 地響きに似た揺れが果てしなく遠い。それよりも彼の息遣いの向こうに聞こえる、血の巡る音が優しい。
「俺は、貴方に嘘は言わない」
 それだけを、彼には約束しよう。
 視界の端で、神殿が崩れるのが見えたがどうでもいいことだ。桟橋が瓦解して大きな水音をたてながら海に沈んで行くが興味はなかった。それよりも震える唇を抉じ開けることに必死だった。
 回した腕の、その下の、厚手の綾織りの下、その膚の下、整列した骨に囲まれる、脈打つ臓器にただ縋る。
「――生きたい」
 声が、震えた。
 風の音にすら攫われそうな程の、小さく頼りない声だった。それでも、口に出して言ってしまった。こんなにも今更で、当たり前過ぎる情けない願いを少年は笑った。
「大丈夫、きっと捜すから」
 男は笑わなかった。偽りない、それは誓いなのだとでも言うような強い声音で呟いた。
 静かに、白い闇が下りてくるのを眺めていた。ひどく近い彼の鼓動だけを頼りに、やっと少年は瞼を閉じた。その時、頬を伝う冷たい軌跡に初めて気付き、驚いた。

 そうして、世界は閉じた。


 目を閉じる。暗闇が広がって、一瞬後に光に変わる。小さな痛みが目の奥に生まれて、瞼を押し開けた、思ったと同時にゆっくりと消える。無風の水面が眼前に広がり、笑い出したくなるような白が頭上に広がる。光源はない。影もない。
 温度を持たない草原の上に横たわりながら、彼は何処に居るのだろうかと男は考える。

 夜が明けてしまえば何ということはない。またいつもの夢を見たよと笑って打ち明け、子供たちが微笑むのを待てば良かった。呆れられるか、困られるか、どちらかは分からないけれども構わなかった。子供たちが、笑ってさえくれればそれで良かった。
 彼は居ない、でもそれ以外のすべてを自分が得ていることに、気付かせさえくれればそれで良かった。

 それでも眠りに落ちれば思い出す。指先に触れた骨のこと、指先に触れた温度のことを思い出す。彼の肺が押し出した生ぬるい風のこと、鼓膜を擽った鈍い心音を思い出す。

 他の誰でもない、彼のことを思い出す。

 見えない水のような空気を掻き分けながら、夢の草地を男は歩く。ふわふわと、体重のない身体を少しずつ水平に近付ける。耳を澄ましても足音はせず、振り返っても足跡はない。空は白一色で、大地は緑一色だ。砂はない。何処にも砂はない。浜辺は何処に行ってしまったのだろう。彼は。砂漠は森へと変わり、森は海になり、その後のことを思う。再び砂漠に変わってしまったのかも知れない。人々の死が、滅んだ水が、天罰のようにこの地を覆ったのかも知れない。風はない。砂音のような波音もない。進んでいるのか、進んでいる気になっているだけなのかも判らないが、とりあえず、歩く努力だけはしてみようと男は思う。

 夢の孤島は寒くない。風も吹かず、蹲る愚かな子供も居ない。生きること、そして捜すことを約束した彼の姿も見えない。
 男は必死で波音を探す。あの日聴こえた風の音を探す。


 目を開く。夢の終わりと始まりはどちらもよく似ている。うす白い、ぼんやりとした光が瞼の隙間から染み込んで来て、少しずつ世界に色を与える。
 ぎこちなく関節を軋ませながら、男は傍らで安らかな寝息を立てる身体を手探りで探す。背中に腕を回し、石鹸の匂いのする小さな頭を抱えながら心音を探す。

 彼には会えたの、と子供が聞く。いやまだ会えない、と男は答える。
 そうして、彼以外のすべてがこの手の中にあることを、何にかはわからないけれども感謝する。砂地に倒れ込んだまま動けない黒い塊のような気持ちで、男は感謝する。

 

胎児の夢 parabiosis
20070115banana






ぐぅ。

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