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05.15.23:48

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  • 05/15/23:48

02.16.00:18

悪癖

悪癖 The INCURABLE



 鼓膜に届く水音で目が覚めた。
 カーテンの隙間からは、水に煙る街並みが見える。陽は既に登った後だったが、雨のせいか灯りのない部屋の中は薄暗く沈んでいた。
 身震いを一つして、ジュードは手足を縮こまらせる。剥き出しの肩に触れる空気が冷たい。毛布と上掛けを纏めて引き上げると、頭まで被って視界を閉ざす。何故こんなに寒いのだったか、凍えながらジュードは思考を巡らせた。手は、無意識の内に閉ざされた空間をさ迷う。背を向けた壁際の隙間に、眠りに落ちる前には確かにあった筈の熱が触れない。思い至り、もう一度確かにジュードは目を開けて、上体を起こした。
 薄暗く沈んだ部屋の中、先ず最初に見留めたのは整然と本の並ぶ棚だった。中には学生時代から所有している医学書の他、エレンピオス文字の辞書や黒匣[ジン]に関する専門書、エレンピオスの研究者であるバランから貰った最新の源霊匣[オリジン]の学会で纏められた議事録の写しのファイル等が収まっている。隅の方の数冊が傾いているのは昨夜遅くに来客を迎え入れた為、その隙間に収まる筈の本を戻し忘れたからだ。
 欠伸をしながらジュードは寝台の下に脱ぎ散らかしたままの衣服を足でかき集めた。その中から自分のズボンを見付けて履くと立ち上がって、部屋履きの靴に足を押し込んだ。少し小さくなったその靴を、ジュードは踵を潰して履いている。新しいものを買おう買おうと思ってはいたが日々の忙しさとどうせ外には履いて行かないのだから、という惰性からそのままになっていた。雨音よりも濃い、室内から漂う水の気配がする方へ意識を傾けながら、せっかくの休みだし新しい靴を買いに出掛けるのもいいかも知れない、とジュードは思った。
 自分の物ではない物も含めて、足元に脱いだままの衣服を拾って回りながら洗面所へと向かう。ジュードが間借りしている部屋の中で、最も源霊匣の最先端の技術で溢れかえっている場所だ。決して広くはない仮部屋において、バランから贈られてくる「微精霊の源霊匣の試作品」の取り敢えずの置き場所が洗面所くらいしかなかったからだ。その大半は実用化には程遠いがらくた同然の物ばかりだったが、先節送られてきた自動で衣服を洗う源霊匣はジュードも気に入ってた。リーゼ・マクシアにも似たような機能を持つ物はあったが街灯樹とは異なり付きっきりで精霊に働き掛けないといけない仕組みなので、一度稼働すれば洗い終わるまで目を離していても良いこの源霊匣は実用化に向けて本格的に改良するべきだろうと思っている。問題はジュードもバランも、どちらかというと医療関係の補助機器として源霊匣の研究に着手していた為、ここからどう広げていけば良いのか分からない点だ。そう、ひとしきり舐めたり噛んだりして互いの熱を煽りあった後、気怠げに寝台にうつ伏せた客人の旋毛にそう愚痴を零したのは昨夜眠りに就く前のことで、彼はこの後カラハ・シャールで商談があるのでその時にでも協力者を募ってみる、と欠伸を噛み殺しすと裸の背を向けながら言った。
 抱えた衣類を試作機に放り込む背後で、外に漂う雨よりも一層濃い水の気配が止んだ。スイッチを押そうとしていた手を止めて洗面台に無造作に掛かったタオルにジュードが手を伸ばすのと、浴室のカーテンが引かれるのとは殆ど同時だった。頬に張り付く前髪を掻き上げる男にタオルを手渡す。
「わりぃ。起こしちまったか」
 身体を拭きながら男は問うた。
「ううん。寝過ぎたくらい」
 答えを返すジュードの脇をすり抜けるようにして濡れた腕が伸びるたかと思うと、男は試作機の中から昨夜脱ぎ散らかした自分の衣服だけを引っ張り出した。
「あれ。スカーフは?」
「流石にスカーフはちょっと……っていうか、洗うんだから戻してよ。服なら貸すから」
 いつか着れる日も来るかも知れない、と自身に言い聞かせながらサイズの合わない服を買い置きしていたジュードは、それとなく言葉を濁しながら男の動きを制止した。だが、彼は見つけだした自分の衣服をまだ乾ききらない身体に纏いながら言った。
「いや、明日の昼にはガンダラ要塞に着きたいからな。そろそろ行くわ」
「行く、って……ちょっと待ってよ。だって」
「言っただろ?カラハ・シャールで商談があるんだよ」
 戸惑いの声を上げている間に男はコートとスカーフ以外の、ジュードが昨夜脱がせた衣類を着込んでしまった。
「アルヴィン!」
脇をすり抜けてリビングへと戻ろうとする、その薄情な背中に声を投げる。だが、男の――アルヴィンの歩みを留め置くには至らない。一瞥すらくれずに彼は肩越しに手だけを振って、その背中を扉の奥へと消した。歯噛みして、ジュードはアルヴィンを追い掛ける。
「待ってよ」
 リビングを抜け、寝室に戻るとブーツを掃き終えたアルヴィンがコートに片腕を通したところだった。なに、と動きを止めることのない彼の声が返る。
「ワイバーンで来たなら、カラハ・シャールまで半日掛からないでしょ。何をそんなに急いでるの」
「あのなぁ……いくら何でも雨の中ワイバーンは飛ばさないでしょーよ」
 ワイバーンは置いてくよ。彼はそう言って、皺のよったスカーフを眉根を寄せながら伸ばし始めた。
「じゃあ、雨が止むまで待ってからでも……」
「おいおい。おたくまでバランみたいなこと言い出してくれるなよ。この雨、今旬いっぱいは降るんだぜ?んで、商談は来旬の頭」
 昨夜の名残はすっかり成りを潜めて彼はいつもの風体に戻ると、ジュードの頭を軽く小突いて笑った。
「ミラさまとの約束もいいが、もうちっと源霊匣以外のことも気にかけようぜ?」
「……何で、そこでミラの名前が出るの」
「さぁ?嫉妬かも」
 口の端を吊り上げて、アルヴィンは言う。嘘だ。喉元まで出掛かった言葉を押し止めたのは、彼の唇だった。下唇を小さく吸って離れていく軽い口付けに、ジュードは眉根を寄せる。
「ありゃ。ご不満?」
 喉を鳴らして笑いながら、アルヴィンは言った。
「また、そうやって……」
 言いかけて、けれど今度は自分の意志で紡ぐ筈の言葉をジュードは飲み下した。溜め息を吐いて、頭を振る。
「いいよ、分かった。でも、ごはんくらいは一緒に食べてくれるでしょ。すぐに作るから」
 問いながら、半分は諦めていた。理由は解らない。常の彼であれば妥協点を提案すれば首を縦に振る確信はあった。けれど、何故か、今日の彼は譲らないような、そんな予感が漠然とあった。それが彼のジュードに対する甘えであったのならどんなに良いか、とも思う。だが、そう都合良く簡単な男ではないことを、彼に対してただ盲目的に夢を見ていてはいけないのだということを、ジュードは身を以ってよく知っていた。思い知らされてきた。
 案の定、アルヴィンはジュードの提案に難色を示した。
「たまの休みだろ。朝飯なんてどうにでもなるし、ゆっくりしたら?」
 うっすらと笑みすら浮かべて、彼は言った。ジュードは首を横に振る。
「いいんだ。僕がやりたいだけなんだし。それに、食べてくれる人が居るのって、やっぱり嬉しいものなんだよ」
 これで駄目なら無様に縋ってまでアルヴィンを引き止めるのはやめよう、とジュードは思った。けれど、彼は肩を竦めて困ったように笑いながらそれでも、朝飯だけだからな、と言ってジュードの頭を掻き混ぜた。
 だから、解らなくなる。信じたくなる。騙されたくなる。期待、したくなってしまう。
「すぐ、作るから」
 絞り出すようにそれだけ呟いて、ジュードは彼に背を向けた。


 外に出ると、雨は霙に変わっていた。褪めた寒色の曇天から、頬を叩き付けるように降ってくる。もう一枚羽織ってこれば良かった、と剥き出しの手指を擦り合わせながらジュードは思った。
 薄ら白い視界に、鳶色の背を捉える。アルヴィン。名前を呼ぶと、男は緩慢な所作で肩越しの傾いた視線をジュードへと寄越した。
「別に見送りなんて要らないのに」
 器用に片方だけ、眉を持ち上げてアルヴィンは言った。
「違うよ。僕も外に用事があるからそのついで。……どれだけ自惚れてるのさ」
 追い付いて並び立つと、無防備な脇腹を肘で小突く。アルヴィンは笑いながら、されるがままになっていた。
 嘘は吐いていない。彼とは違う。外に用事があるのは本当で、買い置きの食料が心許ないのも真実だった。ただ、昼も夜もまた彼と二人で食事をして、その献立を二人で考えて、ジュードの新しい靴を二人で選ぶ――あった筈のささやかな希望の数々を言葉にせず飲み下した結果がこれだった。思いがけず零れた自嘲の笑みをどう受け取ったのか、何だよ、と言ってアルヴィンは嬉しそうに微笑む。内緒、とジュードも笑みを濃くしながら返して、アルヴィンの腋の下に指先を差し入れるようにして腕を組んだ。
「くすぐったいんですけど」
「だって寒いんだもん。手袋忘れちゃったし」
 白く吐く息の向こうに、アルヴィンを捉えてジュードは言った。けれど彼は立ち止まってジュードの手を丁寧に解いたあと、自分のはめていた手袋を抜き取って差し出してきた。
「……何でこう、デリカシーに欠けるかなぁ」
「そういうおたくはどんだけ乙女系なのよ」
「これから街を出るアルヴィンに、どれだけ鬼畜なのさ僕」
「わりとそんなもんだろ。ジュード君が俺に優しかったことなんて、ホント数えるくらいしかないしねぇ」
 いつまで経っても受け取ろうとしないジュードに痺れをきらしたのか、彼に手を掴まれて手袋を被せられた。手首に触れる冷たく乾いた彼の掌や、指先の随分と余る温もりの残った手袋の、その温度差に意図せず溜め息が零れる。
「三十路にもなって自分探ししてる駄目な大人に対して、寛大過ぎるくらい寛大だった覚えはあるけどね」
「まだ大台にゃ乗ってねぇよ」
「来節には乗るでしょ」
 アルヴィンが黙り込む。ジュードも、口を噤んだ。来旬の末日には節が変わる。脳裏に過ぎった事実が、続く筈のジュードの言葉を遮った。
「……何か、慌ただしいね。これじゃあセックスしに来ただけみたい」
 赤褐色の視線から逃れるようにして顔を背けながらジュードは言った。
「…………まぁ、結果論だな」
 常のジュードらしからぬ言動に面を食らったのか、少しの間を要してからアルヴィンが呟く。見上げた先には相変わらずの眠たそうな彼の顔があって、何だか無性に業腹だった。
「ねぇ、今、どんな気分?」
「優等生が不良になってんな。新鮮で可愛い」
「そうじゃなくて!」
 思わず、声を荒げると流石のアルヴィンも僅かだが目を見開いた。だが、それ以上に声を荒げたジュードが自分の声に驚いた。
「……そういうんじゃ、なくて」
 漸く弱々しい声をジュードが絞り出した頃には、アルヴィンもすっかり平静に戻っていた。水気を含んで重たくなった髪が一筋、眉の上に張り付いている。
「どうして、アルヴィンはいつもそうなんだろう。嘘吐いて誤魔化して……疲れない?」
 問いながら、手を伸ばして張り付いた彼の前髪を掬った。
「何だ。ジュード君、疲れちゃったの」
「僕じゃないよ」
「もう、おたくには嘘は吐いてねぇよ」
「僕じゃなくて」
 なすがままにされていたアルヴィンが、離れていくジュードの手を取った。唇に寄せて「何?」と続く言葉を促される。
「アルヴィン、どうしちゃったの?何かあったの?僕が、何かしてしまったの?」
 彼の指先を握り返して、ジュードは一息に言った。全ては不安からだった。
 昨夜のことを思い出す。日付の変わってすぐの夜更けに、アルヴィンは訪ねてきた。彼の来訪の予定はなかったが手紙に今度の休みの日について書いていたので、非常識な時間に鳴る呼び鈴を特に警戒することもなくジュードは扉を開けた。暗い廊下を背に立つ男は、最後に会ったときと変わらないように見えた。変わらず、少し疲れているようだった。その姿を見留めた後、言葉を交わしたかは覚えていない。腕を掴んで彼を部屋へと引き入れてしまうと、扉を閉めて唇を塞いだからだ。もしかすると、名前くらいは呼んだかも知れないし呼ばれたかも知れない。口付けながら彼が後ろ手に鍵を閉めるのが見えた。だからジュードはアルヴィンのベルトを外すことに集中することにした。縺れるように寝室に彼を導いて、そこで漸く唇を解放すると「俺、着いたばっかで喉渇いてんだけど」とアルヴィンは言った。この時、聞こえないふりをして寝台に突き飛ばしたのが悪かったのかも知れない。後で水差しを持ってくるから、と耳元で囁いておきながら忘れて寝入ってしまったことが原因かも知れない。それに、コンドームも付け忘れた。中に出してしまっても彼は何も言わなかったが、その所為で怒らせてしまったのかも知れない。
 心当たりだけが渦巻いて、不安で押し潰されそうだった。けれど、今回だけの話でなく、何も言わないアルヴィンのことはずっとジュードの気掛かりだった。もう嘘は言わないと彼は確かに言っていた。結果、嘘だけでなく彼は伝えるべき本当の言葉も噤み続けている。
 遮るもののなくなったアルヴィンの唇は緩やかな弧を描いている。微笑んでいる。そこへ、畳み掛けるようにしてジュードは言葉を連ねた。
「お願いだからアルヴィン。誤魔化さないで。そうして、いつも最後に傷つくのはアルヴィンじゃないか」
 泣きそうだった。けれど、男から漂う笑みの気配は濃くなる一方だった。天気が悪いお陰で人通りが少ないのは助かったな、と鼻を啜りながらジュードは思った。アルヴィンはいつかのようにジュードの言動を指摘するようなことはなく、ただ一つ、目蓋に唇を落としてきた。本当に、人通りが少なくて良かった。
 「アルヴィンは」堪えているのも馬鹿らしいので、感情のままに零してしまうことに決めた。「そうやって、僕のことも殺してしまうの?」
 問うて、彼の顔を見上げて伺い続けるのが辛くて、ジュードは俯く。そのまま、両手の平で顔を覆った。手袋に包まれた手は僅かだが、アルヴィンのにおいがした。濡れた雪の降り積もる音に、喉を鳴らす声が混ざる。
「そうだな。みんな死んだ」
 顔を覆う手に、彼の手が触れた。自分のものではない吐息が、前髪を揺らしている。自惚れてるな、クソガキ。吐息と共に耳の奥へと吹き込まれて、弾かれたように顔を上げたそこでアルヴィンに唇を奪われた。
 彼の悪癖は不治の病だ。きっとジュードも殺される。予言めいた確信に腹の底が重くなるのを感じながら、ジュードはアルヴィンの背中に手を回した。
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