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[06/30 海冥です…!!]

05.15.18:31

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  • 05/15/18:31

03.04.09:03

ALFRED

 頭上には、幾つもの星が瞬いていた。辺りは暗かったが、夜ではなかった。夜ではなかったが、街は輝く夜の名を冠していた。人通りは少なくはなく、アルヴィンはその隙間を縫うようにして街の東へと急いだ。
 途中、髪を揺らす潮風に歩みを緩めたが、それも一瞬のことだった。海停で船を待つ、その時間すら惜しい。恐らく、アルヴィンの行動に彼らが気付くまでそう多く時を要することはないだろう。或いは、既に気が付いているかも知れない。腕の中の小さな重みを抱き直して、アルヴィンは一層東へと歩を速めた。
 最初は、行方と様子とを探るそれだけが目的だった。故郷から遠く離れたこの地において、叔父の命令は絶対だった。その叔父がアルヴィンに、ジルニトラに乗り合わせたエレンピオス人の集落から姿を消した同郷の医師の捜索を命じたのは変節風の吹く少し前のことだ。調べによると医師ーーディラック・マティスは「マクスウェル」による集落襲撃を経てアルヴィンの属するアルクノアから姿を消した後、リーゼ・マクシア南方の大国ラ・シュガルの首都でこの世界の医療技術を学んでいるのだということが知れた。そうして訪れたイル・ファンでアルヴィンは事前に調べていたディラックの住居へと向かい、そこで一人の女性に会った。長く黒い艶やかな髪の美しい彼女の名はエリン・マティスといい、ディラックの妻であることをつり上がり気味の目尻を微かに下げながら教えてくれた。それでアルヴィンは得心がいった。彼はこのリーゼ・マクシア人と出会い、故郷を捨てる覚悟を決めた。そういうことなのだろう。だからこそ、アルクノアの過激な活動と何より、故郷への未練を断ち切る為にディラックは姿を消した。そんなことは、十一の子供でしかないアルヴィンにも容易に察することが出来た。それだけに、取り繕うことも忘れてただ狼狽した。母のことを思い出したからだ。
「君、大丈夫?」
 リーゼ・マクシア人の女は、急に黙り込んだ不審な子供の顔を心底案じている様子で覗き込んできた。一瞬、仄かに漂う甘く懐かしいようなにおいに、胸を鷲掴みにされたような気がした。
「ごめんなさいね。せっかく訪ねて来てくれたのに、夫はまだ……あら?」
 アルヴィンの顔を覗き込んでいた女が、不意に顔を上げた。つられるようにして、アルヴィンも肩越しに彼女の視線を追った。そこで、目が合う。血の気の失せた男の眼孔は落ち窪み、それでも確かにそこには驚愕と憎悪とをない交ぜにした感情を浮かべて、強く、アルヴィンを睨み付けていた。集落において接点も面識も無いに等しいアルヴィンを、けれど彼は一目で目の前の子供が招かれざるかつての同胞であることを見抜いた。
「ここで、何をしている」
 低く、唸るような声で男は言った。落ち掛かったブラウンの髪の間から、憤怒を宿す眼差しでアルヴィンを射抜いてくる。ジルニトラに居た頃の遠目にも分かる存在の稀薄さは最早見る影もなかった。そこに居るのはただ、今の自分の生活と家族とを守ろうとする男だった。適う筈がない。アルヴィンは思った。
「ここで、何をしているのかと訊いている」
 言いながら、男の手が伸びてきた。アルヴィンは身体を強ばらせる。捕まるわけにはいかない。頭では解っていた。この男はきっとアルヴィンをラ・シュガル兵に引き渡す。そこからアルクノアやエレンピオスの存在が割れるとは思わなかったがそれでも、自分は帰らなくてはならなかった。だのに、身体は鉛のように重く、動かない。
 息をすることすら忘れて、アルヴィンは対峙した男の手を見つめていた。その背後で不意に、泣き声がした。弾かれるようにして、男は顔を上げる。同時に、アルヴィンもまた呪縛から解けたように感覚が戻った。その一瞬の内に、アルヴィンは伸ばされた男の手をかわし、脇をすり抜けて夜の街へと駆け出した。背中に、かつての自分の名前をまるで呪詛のように浴びせかけられながらそれでも、決して振り返ることなくアルヴィンは走り続けた。ただ、あの刹那に割り入った泣き声だけが酷く、耳の奥に残って消えなかった。赤ん坊の声だった。
 翌日、アルヴィンは再びディラック・マティスの家を訪ねた。遠目に、男が小走りで駆けていくのが見えた。急患が出たからだ。ベビーシッターはもう帰してしまったが、夜勤の妻は次の鐘が鳴る頃には帰ってくる。そんな甘えと油断があったのだろう。昨夜のアルヴィンの来訪を憲兵に通報した様子もなく、見くびられたものだな、と夜の街に男の背中が消えたことを見届けるとアルヴィンは口の端を吊り上げた。
 任務とは全く関係なかった。ディラック・マティスは確かにアルクノアを離反したが、彼は組織における重鎮でも、増してや叔父の望む地位にも何ら関わりのあるような人物ではなかった。ただ、叔父はアルクノアのリーダーの座を得る為、その情報を蓄える為、ジルニトラに乗っていたエレンピオス人の消息を離反者も含め把握することを望んだ。だから、アルヴィンの任務はディラックを確認し、また接触した昨夜の時点で終わっていた筈だった。だが、今、アルヴィンの足は確かにディラック・マティスの家へと向いていた。
 扉の前に立ち、呼び鈴を鳴らした。二度鳴らし、次にノックをした。返る声はない。次に、名前を呼んだ。返事はなかった。そこで初めて、アルヴィンはドアノブに手をかけた。当然、扉には鍵が掛かっていた。政府の主要施設でもないリーゼ・マクシア人の異形の力で「育てられた」家の扉に取り付けられた鍵は、随分と原始的な造りのものだ。壊すまでもなく、アルヴィンが今までに培った技能で解錠は容易であるように思えた。だが、アルヴィンは鍵には触れず家の裏手側に回った。来旬から火霊終節[サンドラ]に入るとはいえ、まだ暑い日が続いている。案の定、夜風にカーテンの揺れる窓を見つけた。二階だった。
 柵を踏み台にして窓に手を掛けると、そのまま腕の力だけでよじ登る。取っ掛かりをなくした足が無様に宙をさ迷って、何かを蹴り飛ばした。陶器の割れる音に鉢植えでも倒しただろうか、とアルヴィンは眉根を顰めるがそれ以上気に掛けている余裕はなかった。
 部屋の中に入ると、噎せるような甘いにおいがした。昨日、ディラックの妻から仄かに漂ったのと同じものだ。室内は暗く、窓から差し込む街灯樹の光が陰影を濃く浮き彫りにしていた。隣の部屋から、赤ん坊の泣き声が聞こえていた。
 湿地から吹き込む湿った風に揺れるカーテンが身体に纏わりつく。払いのけながら、アルヴィンは泣き声のする方へと歩を進めた。廊下に出て、隣の部屋に入る。空気が動いた為か、オルゴールメリーが微かに揺れた。その脇を過ぎて、アルヴィンは窓辺のベビーベッドに近付く。泣き声は、間違いなくそこから溢れていた。
 ぬいぐるみに埋もれるようにして、その赤ん坊は寝台に横たわっていた。生え始めの産毛は柔らかかったが、母親譲りの濃い色をしている。涙に濡れた榛色の瞳も、よく似ていた。リーゼ・マクシアの血を色濃く継いでいるのだろう。そこには、異境リーゼ・マクシアに迷い込んだ哀れなエレンピオス人の子供の悲壮さは、微塵も感じられなかった。ただ、覚悟を決めた父親と、愛情深い母親とに慈しまれる子供が、けれど何故か火が着いたような勢いで泣き続けている。その様子を、アルヴィンはただ眺め、見下ろしていた。あやすことも逃げることもせず、ただ、かつて確かに自分が持ち得、そして今無くした全てに包まれるその子供を、無心に、見下ろしていた。丸みを帯び、紅潮した頬を伝い落ち流れる涙を、吹き込む風に揺れる柔らかな産毛を、愛に包まれ赦された子供を、気が付けば柵に手を掛けて、身を乗り出し、見下ろしていた。榛の瞳が、覗き込むアルヴィンの影を捉えた。二度、三度と瞬く内に涙がこぼれることはなくなった。透き通る蜂蜜色の鏡に映る、自分の方が余程酷い顔をしているな、とアルヴィンは思った。
 不意に、赤ん坊は手を伸ばした。何かを掴むようにして、小さな手のひらが宙をさ迷う。何度も、何度も、目の前で弱々しく、辿々しく、赤ん坊の手のひらが翻った。アルヴィンは、少しだけ迷った。けれど、すぐにグローブを外すとさ迷う赤ん坊の手のひらに触れた。温かい、小さな小さな指がアルヴィンの手を強く握り込んだ。そして笑う。愛された赤ん坊が、アルヴィンに笑いかける。アルヴィンは、唇を強く噛み締めた。
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