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05.14.11:17

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  • 05/14/11:17

11.08.00:40

Schwarze Spur

バレンタインネタ書いたことないなー、と思って書いたモノ。
グダグダ。
でも「ESCHATOLOGY」世界にバレンタインデーィ、という祝日はなさそうだ(笑)。




黒い軌跡 Schwarze Spur
20070214banana


 ある空の高い日の出来事だった。

 僕は窓辺でハードカバーに腕を痺れさせていた。兄は昨日出された分の課題がまだ終わらない。妹は近所の廃品処理工場からくすねたスクラップでお楽しみの最中。漂ってきた甘い匂いに、父の居場所だけは辺りを見渡すまでもなく判った。

「腹減ったー」

 嗅覚を刺激する魅力的な匂いに誘われて兄が机に突っ伏しながら言った。
 甘くて濃厚なチョコレートの香りに、卵とバターの焼ける香ばしい匂いが台所から止め処なく溢れてくる。今日は正真正銘のケーキだな、と見当をつけた。心なしか廃品に向かったままの妹の背中も、漂う香りに期待しているように見える。それは勿論僕も同じだ。
 だから軽やかな金属音が響いたときなどは、脊髄反射と形容しても可笑しくない速さで読みかけの本にしおりを挟んで閉じていた。同時に筆記具を投げ出した兄と、工具入れの蓋を閉めて立ち上がった妹と目が合う。三者三様に動きを止め、三者三様に見つめあい、そして三者三様に見なかったことにした。

「夜刀彦、お前は課題含め今すぐこの机の上の惨状を片付けろ。朝霧は工具入れとガラクタの撤収ついでに手を洗って来い。油臭い中で甘いものを食べるなんてゴメンだからな」

 僕たちの部屋からでは台所の様子を窺い知ることが出来ない為、件のケーキがどれくらいの大きさなのかは知れない。それでも父がケーキを手にして現われたとき、すぐに置けるよう机の上を片付ける指示を出し、より快適に目的のものを味わう環境作りを僕は怠らなかった。いつもなら文句を言う二人も目の前に人参を吊るされたこの状況での動きは迅速だ。
 僕は二人と違い本を読んでいただけなので、差し当たりすることがない。それでもただその場に立ち尽くすには手持ち無沙汰だったので、机の上を拭くべく台布巾を取りに台所へと足を向けた。別に一足先にケーキの全容を見ようだなんて、そんな抜け駆けみたいなことを思った訳ではない。純粋に、然るべき用事を果たすために台所へ向かった。下心はない。断じて。

 一歩台所へ踏み込めば、甘い香りは一層その深みを増した。
 父は光沢の少ない少し長めの青銀髪をチェックのリボンで一つに結んでいた。確かあれは妹の誕生日に兄がプレゼントしたものだが、当の本人には頗る評判が悪かったと記憶している。それでも一度手の中に収めた自分の物がなくなるのは気に入らないらしく、今朝から見当たらないことをぼやいていたのを思い出した。
 いつもの黒い長袖を肘までまくり、父は簡易テーブルに前屈みになっている。二部屋くらい離れた場所の音も正確に聞き取るこの父親には、きっと僕がこの部屋に入って来たことも解りきっているだろうから特に声を掛けることはせずに流しへ向かった。

 乾いた生地が冷水を含んでいくのを待ちながら、横目で父の様子を窺い見る。
 父の横顔は真剣そのもので、ペースト状のチョコレートを褐色のスポンジに塗り込んでいるところだった。後ろからは見えなかったのだが、前髪が落ちかかることを考慮してかヘアバンド(これまた妹の私物だ)まで着用する念の入れようだった。その上作るもの作るもの、最高の味と、最低の見栄えとでそのギャップに毎回辟易させられる父の料理だったが、今回のケーキは今までに類を見ない程にちゃんとしたものだった。今更だが、本当にこの人はやれば出来るのにやらない人だとつくづく思う。そして疲れる。
 ふと台布巾を絞る手を止めてコンロを見ると、湯銭に掛けられたままのチョコレートが目に止まった。父はどれだけケーキにチョコレートを塗りたくれば気が済むのだろう、と一抹の不安を覚えながら、それでも今日の彼の創作料理にはかなりの期待が出来るであろう収穫があったことに僕はそこそこ満足して台所を後にした。

 髪も服の袖もいつも通りになった父が四人ではとても食べきれないほどの、大きなザッハトルテを手に台所から姿を見せた。いつものあの得体の知れない「ケーキっぽい」ならともかく、今回の秀作はきちんと切り分けて皿の上に乗せ、フォークで掬いながら食べるつもりで僕らは大人しく机の上にケーキが乗るのを待つ。父は片手にはケーキを、そしてもう一方の手にはマグカップを三つ、器用に持っていた。

「おーい、お前らこれ持って持って。一個ずつな」

 軽やかな父の声に、一抹の不安が過ぎる。
 その赤青黄色のマグカップは閉店セールで父がタダ同然の値段で叩いてきたもので、以来僕ら三人専用ということになっているカップだった。普段は簡単なスープを飲んだり、ホットミルクを飲んだりする時に使う。あまり、というか一度も、紅茶や珈琲といったお菓子のお供になりそうな飲料を淹れたことはない。筈だ。
 嫌な予感に気付いているのは僕だけだ。兄も妹も気付かない。馬鹿だ、馬鹿過ぎる。頼むから早く気付いて欲しい。そしてこの不安を一緒に共有して欲しい。若しくは「そんなワケないだろう考え過ぎだ」、と言ってこんな不安はさっさと笑い飛ばして欲しい。いや、まあ、別に、裏切られたとかそういうワケではなく、本当に、本当にただ僕らが勝手に勘違いしていただけであって、父は何も悪くないことを知ってはいたが、それにしたって、ああそれにしたってそれならば「何故」、と僕は問いたい。
 手渡されたマグカップの中身を見て、漸く兄と妹の頭に疑問符が浮かぶ。遅い。
 兄の手には赤、妹の手には黄色のマグカップが握られている。僕のものは青色で、色こそ違ってはいたけれど中身は確認するまでもなく皆同じものだろう(この父は冷徹なまでに僕ら三人を公平に扱う病持ちだからだ)。鼻を突くのは濃厚なチョコレートの香りではなく、手の中のホットチョコレートから漂ってくるミルクの混じった甘ったるい匂いだった。
 状況がイマイチ飲み込めて居ない二人を差し置いて、僕は一人遠い目をしながら父に問うた。

「一人で食べるんですか……それ」

「まっさか~。いくら俺でも太るでしょ、それは」

 いや、この父なら食べ兼ねない。

 漸く曖昧ながらも父の意図を理解したらしい二人が期待を胸に顔を上げたのが視界の隅に入った。馬鹿かお前ら。
 僕は早々に諦めて窓辺へ向かう。多少行儀が悪くても、ホットチョコレートなら飲みながら本が読めると思ったからだ。
 父もまたケーキ片手に窓辺へ向かう。その父の後を追って兄と妹も窓辺へ向かう。

 そもそも、台所へ行った時点で気付くべきだったのかも知れない。コンロで火に掛けられていたものがケーキに使われる為のものであるという先入観さえなければ、この落胆は事前にもっと軽減出来た筈だ。
 そして兄と妹はまだ気付かない。妹は幼いから仕方がないとしても、兄の鈍さには眩暈がする。

 ザッハトルテ食いながらホットチョコレート飲むなんてフツーに有り得ないとか思わないのか?

 ……。
 思わないんだろうな。

 本を広げながら僕は口許にマグカップを運ぶ。
 窓を開けながら父は桟敷に一歩を踏み出した。

 一瞬、視線だけ上げて窓の方を見ると父と目が合う。悪戯っぽく片方の眉尻を下げて、反対に口はしっかり弧を描いていて、憎たらしい程の愉快犯の笑みを浮かべて――甘い、甘い、そして黒い極上の夢は放物線を描いて遥か彼方、水平へと消えた。

 空っぽになった手を、弧を描くようにして大きく一回転させると、両腕を頭上に上げて父は笑う。

「Happy Valentine!」

 笑う父と、呆然と立ち尽くす哀れな兄と妹の姿は確かに見物で笑えたが、結局父の意図する全容は把握出来ず、僕は素直に笑えなかった。

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